俺を脅迫しているのか)
茅野雄は何となく肌寒くなった。
(どうして俺が江戸を立って、飛騨の山中へ入り込んだことを、あの男は探り知ったのであろう?)
これが茅野雄には不思議であった。
(しかし俺は巫女の占いを奉じて、飛騨の山中へ来たのではない。叔父の一族に逢おうとして、飛騨の山中へ入り込んだのだ)
とはいえ結果から云う時には、
「山岳へおいでなさりませ、何か得られるでございましょう」と、そう云った巫女の言葉の、占い通りにはなっていた。
(しかし俺に巫女が占ってくれた「何か」がはたして何であるか、それさえ知ってはいないのだ)
――で、醍醐弦四郎などに、敵対行動を取られるという、そういう理由はないものと、そう思わざるを得なかった。
(そうは思うものの醍醐弦四郎に、現在このように矢文を付けられ、あからさまなる敵対行動を、約束された上からは、用心しなければならないだろう)
で、茅野雄は四方《あたり》を見た。
六月の山中の美しさは、緑葉と花木とに装われて、類い少なく見事であった。椎の花が咲いている。石斛《せっこく》の花が咲いている。槐《えんじゅ》の花が咲いている。そうして厚朴《ほお》の花が咲いている。鹿が断崖の頂きを駆け、鷹《たか》が松林で啼いている。鵙《もず》が木の枝で叫んでいるかと思うと、鶇《つぐみ》が藪でさえずっている。
四方八方険山であって、一所に滝が落ちていた。その滝のまわりを廻《めぐ》りながら、啼いているのは何の鳥であろう? 数十羽群れた岩燕であった。
高山の城下までつづいているはずの、峠路とも云えない細い道は、足の爪先からやまがた[#「やまがた」に傍点]をなして、曲がりくねって[#「くねって」に傍点]延びていた。昼の日があたっているからであろう。道の小石や大石が、キラキラと所々白く光った。
しかし、弦四郎と思われるような、人の姿は見えなかった。
(不思議だな、どうしたのであろう?)
宮川茅野雄は首を捻《ひね》ったが、ややあって苦い笑いをもらした。
(何も近くにいるのなら、矢文を射てよこすはずはない。遠くに隠れているのだろう。そこから矢文を射てよこしたのだ。そうしてそこから窺っているのだ)
それにしても戦国の時代ではなし、矢文を射ってよこすとは、すこし古風に過ぎるようだ。――こう思って茅野雄はおかしかった。
(弓矢で人を嚇すなんて、今時なら山賊
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