い、外伝に云いつけて後をつけさせますと、山大という指物店へはいり、『ままごと』のことを訊ねましたそうで、外伝も後からはいって行って訊くと、一月の十五日に『ままごと』を一個、松本伊豆守へ納めるとのこと。……早速お殿様へお知らせすると、『ままごと』を奪ってすり換えろというお言葉、その結果が今夜になりましたので。……貝十郎というあの与力が、最初から関係していたものと、こう云えばこうも申せますとも」
「これは偶然からでありますが。……」女勘助が笑いながら云った。「私は女の姿をしていながら、美しい女が好きなので、水茶屋『東』のお品の顔を見たく、度々あの家へ行っているうちに、お品の顔がお篠に似ていることや、お品の情夫《まぶ》が旗本の伜の小糸新八郎だということや、お品が松本伊豆守に、引き上げられたということなどを知って、これはてっきり伊豆守から、献上箱の人形として、田沼のもとへ届けるなと感付き、気の毒だなあと思いました。ところが今夜その新八郎が、道を歩いておりましたので、言葉をかけて誘って、私達の後からつけ[#「つけ」に傍点]て来させましたが、今頃どうしておりますことやら」
「田沼め、『ままごと』や献上箱を、邸の内でひらいて見て、どんな顔をすることか、その顔が見とうございます」
 こう云ったのは僧侶に扮した、鼠小僧外伝であった。
「ご馳走の代わりにむさい[#「むさい」に傍点]物が、しこたま詰められてあるのだからなあ」
 こう云ったのは、六部姿をした、火柱の夜叉丸その者であった。
「酒の代わりにあれ[#「あれ」に傍点]なんだからなあ」
 こう云ったのは破落戸《ならずもの》に扮した、稲葉小僧新助であり、
「献上箱の中の人形が、飛んだ爺《おやじ》の人形なんだからなあ」
 こう云ったのは紫紐丹左衛門で、武骨な侍の姿をしていた。
「それより人形の持っている、あの書物を田沼が見た時、どんなに恐れおののくことか、それを私は知りたいような気がする」館林様はこう云いながら、盃を含んで微笑した。「田沼退治はこれからだ。次々に彼奴《きゃつ》を怯《おびや》かさなければならない。……だんだんに彼奴の罪悪を、彼奴と世間とへ暴露しなければならない。……暴露戦術というやつがある。大金持ちや権謀術数で、権勢を握っている為政者などを、亡ぼしたり改心させたりするには、一番恰好の戦術だ。一方では心胆を寒がらせ、一方では世間の正しい批評を、仰がせることに役立つのだからだ」

 田沼家へ行った『ままごと』の中には、何がはいっていたのであろうか?
 要するにむさい[#「むさい」に傍点]物であって、飲めも食べも出来ないものであった。では、献上箱にはいっていた物は? 田沼主殿頭その人を、さながらに作った人形であって、しかもその胸には短刀が刺してあり、手には斬奸状が持たされてあった。
 一、その方屋敷内の儀、格別の美麗を尽くし、衣食並びに翫木石に至るまでも、天下比類なき結構にて、居間|長押《なげし》釘隠し等は、金銀無垢にて作り、これは銀座の者どもより、賄賂として取り候ものの由、不届き至極。
 二、諸大名官位の儀は、天聴へ奏達も有之《これあり》、至って重き儀に御座|候処《そうろうところ》、金銀をもって賄賂すれば、容易く取り持ち、世話仕候不届き至極。
 三、近年詮挙進途の権家は、皆その方親族の者ばかりにて、その方の召使いの妾等を願望の媒《なかだち》となし、度々登城仕らせ、殊に数日逗留、その節莫大の金帛相い贈り、内外の親睦を結び置き候儀、不届き至極。
 四、諸事倹約と申す名目を立て、自己のみ奢り、上を虐げ、下を搾取す。不届き至極。
 等々と云ったような条目が、斬奸状には連らねてあった。

 二月が来て春めいた。隅田川に沿った茶屋の奥の部屋で、お品と新八郎とが媾曳《あいび》きをしていた。
「お品、こいつを着けてやろうか」
 新八郎は鉄で作った、刺《とげ》のある不気味の貞操帯を揺すった。
「阿呆らしい」
 とお品は一蹴してしまった。
「そんなもの嫌いでございます」
「お品、こいつを冠せてやろうか」
 新八郎は驢馬仮面を撫でた。
「馬鹿らしい」
 とお品は一蹴してしまった。
「男に冠せるとようございますわ」
「御意《ぎょい》で」
 と男の新八郎は云った。
「こういう刑罰の道具類や、こういう節操保持の機械は、女から男へ進呈すべきものさ。……悪事は男がしているのだからなあ」
「浮世は逆さまでございますわね」
「御意で」
 と新八郎は早速応じた。
「浮世は逆さまでございますとも。そこで大変息苦しい。そこで当分貝十郎式に、韜晦《とうかい》して恋にでも耽るがよろしい」
「でも、勇気がございましたら。……」
「あ、待ってくれ、勇気なんてものは、館林様にお任せして置け。……勇気なんてものを持とうものなら、お前となんか交際《つきあ》う代わりに、ああいう六人の無頼漢どもと、交際《つきあ》わなければならないことになる……」
「では、勇気なんか、棄ててしまいましょう」
 あわててお品は勇気をすててしまった。
 で、二人は幸福なのであった。
 で、二人は平和なのであった。

    現妖鏡


        一

 浅草の境内で、薬売りの藤兵衛が喋舌《しゃべ》っていた。
「さあお立ち合いお聞きなされ。ここに素晴らしい薬がある。甲必丹《キャピタン》カランス様が和蘭《オランダ》の国から、わざわざ持って来た霊薬で、一粒飲めば神気が爽か! 二粒飲めば体力が増す。三粒四粒と毎日飲めば、女が一人では足りなくなる。つまり精力が逞《たくま》しくなるのだ。一月つづけて飲んで見なされ、妾を三人も囲いたくなる。生の活力、楽しみの泉、大きな事業を行う源! この薬に如《し》くものはない! 負けてやるから沢山お買い。十粒入りが一両とはどうだ! 何高い? 高いものか! 一粒十両でも安いくらいだ。とは云え大道商いだ、両という値は立てがたかろう。よろしいよろしい負けてやろう、十粒入りを一分にしてやろう。ナニこれでも高いというのか、どうも仕方がないもう少し負けよう、二十粒入り一朱とはどうだ! 何、何んだって、まだ高いって? これは呆れて物が云えない! 楽しみの泉のこの薬が、そうそう安くてたまるものか! とは云え大道商いだ、安く踏まれるのは仕方あるまい。同じ品物でも玄関構えの、ご大層もないお屋敷の中で、取り引きをする段になると、十倍百倍になる世の中だからなあ。とかく虚飾が勝つ時世だ、そういう時世での大道商い、踏み倒されるのは当然だろうて。そこでよろしい悟りをひらいて、ぐっと下値《げじき》に売ることにしよう。二十粒入り十文とはどうだ! もう負けないぞ買ったり買ったり! ……や、それはそうと大変なお方が、お立ち合いの中に雑《まじ》っておられる。日本橋の大町人、帯刀をさえも許されたお方、名は申さぬが屋号は柏屋、ただしご主人は逝くなられた筈だ! お気の毒にもお母様にも、二年前に逝くなられた筈だ! その柏屋の一人娘、これもお名前は云わぬ方がよかろう! ナーニ構うものか云ってしまえ! さようお島様と云われる筈だ! そのお島様が雑っておられる! 顔色がお悪い! ご病気だからだ! お眼が悲しげにすわっておられる! お心に悶えがあられるからだ! ……大家のお嬢様であられるのに、お供も連れられずたったお一人で、悪漢《わる》や誘拐師《かどわかし》がうろついている、夕暮れ時の盛り場などへ、どうしてお越しになったのか? 思案に余ったからであろう! 途方に暮れられたからであろう! ごもっとも様でご同情します! 奇病! 奇病! 何んとも云えない奇病に、取りつかれておいでなされるからだ。……そこで藤兵衛は申し上げます、浅草を出て品川まで、すぐにもお出かけなさいませ! 助けるお方が出て参りましょう! 途中に変わったことがあっても、行った先に変わったことがあっても、決して恐怖《おそれ》なさいますな、救いの前には艱難《かんなん》があり、安心の前には恐怖があるもので! さあさあお出かけなさいませ! 一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうよ」
 藤兵衛を取り巻いて二十人あまりの、閑そうな人間が立っていた。そういう人達に立ち雑って、お島がやはり立っていた。
 年は十九、美人であった。藤兵衛のお喋舌りが終えると一緒に、お島はフラフラと歩き出した、浅草の境内から誓願寺通りへ抜け、品川の方へ歩いて行く。神田の筋へ来た頃には、町へ灯火が点きはじめた。
 身長《せい》は高かったが痩せていた。苦痛のために痩せたものらしい。眼が眼窩の奥にあった。苦痛のために窪んだのであろう。瞳が曇って力なげであった。歩く足もとが定まらない。放心したように歩いて行く。――これがお島の姿であった。
 ふとお島は振り返って見た。と、一人の侍が、彼女の背後《うしろ》から歩いて来ていた。
(薬売りの言葉は嘘ではなかった)
 そう思ってお島は安心した。
(では一切あの男の言葉を、妾《わたし》は信用することにしよう)
 彼女は溺れかかっているのであった。藁《わら》をさえ掴まなければならないのであった。藤兵衛の言葉は藁と云ってよかった。
 ――どうして自分の身の上と、どうして自分の心の苦痛と、どうして自分の病気のこととを、あの薬売りは知っているのであろう? ……これが彼女には不思議であった。
 不思議ではあったがどうでもよかった。あの男が妾を救ってくれるのなら。で彼女は云われるままに、品川へ行こうとしているのであった。一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうと、こうあの薬売りの男が云った。
 侍が背後《うしろ》から従《つ》いて来ていた。その立派なお武家様なのであろう。彼女は今安心していた。

        二

 京橋の中ほどまで来た時である、彼女はすっかり疲労《つか》れてしまった。こんなに歩いたことがないからである。彼女はだるそうに足を止めた。
 と、彼女の左側に、一挺の駕籠が下ろされた。そこで彼女は振り返って見た。侍が手を上げて駕籠を指している。で、彼女は安心して、駕籠の中へ身を入れた。
 こうしてお島を乗せた駕籠が、三月の月に照らされながら、品川の方へ揺れて行く後から、袴なしの羽織姿の、その立派な侍が、大して屈托もなさそうに、しかし前後に眼を配って、油断を見せずに従いて行った。
 芝まで行った時であった、そこの横町から一人の旅僧が、突然現われて駕籠へ寄ろうとした。
「これ!」と侍が声をかけた。
 旅僧はギョッとした様子であったが、何も云わずに後へ下がった。その間に駕籠と侍とは、先へズンズン進んで行った。
 と、また横町から無頼漢のような、一人の男が飛び出して来た。
「これ!」
 とたった[#「たった」に傍点]それだけであった。駕籠と侍とは先へ進んだ。しかしまたもや横町があって、そこの入り口へまで差しかかった時、一人の武士と売卜者《うらないしゃ》とが、駕籠の行く手を遮《さえぎ》るようにして、その入り口から走り出た。
「これ!」と侍は声をかけた。「駕籠へさわるな! 俺を知らぬか! ……思うに恐らく今度の事件には『館林様』はご関係あるまい! やり方があまりに惨忍に過ぎる!」
 武士と売卜者とは黙っていた。その間に駕籠と侍とは進んだ。その駕籠と侍との遠退くのを、四人の者は一つに塊《かた》まり、残念そうに見送ったが、
「どうも十二神《オチフルイ》に出られたのではね」売卜者風の神道徳次郎が云って、テレ切ったように額を撫でた。
「それにちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と見抜いておる」こう云ったのは武士姿の、紫紐丹左衛門であった。「館林様がご関係ないとね」
「せっかく浅草から狙って来たんだが」鼠小僧の外伝が――旅僧の姿をした男が云った。「ねっからこれでは始まらない」
「諦めるより仕方がないよ」こう云ったのは無頼漢《ならずもの》風の、稲葉小僧新助であった。「相手が十二神《オチフルイ》とあるからには、六人かかったって歯が立たねえ。まして今は四人だからな
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