再度貝十郎が声をかけた時、飛び石づたいに歩きながら、話して来るらしい二人の侍の、話し声がこっちへ近寄って来た。主屋と離れて別棟があり、諸侍達の詰め所らしかったが、そこから小姓らしい二人の侍の、手に何やら持ちながら、二人の方へ歩いて来た。
「殺生な奴はこの道具でござる。この貞操帯という奴で」こう云いながら一人の侍は、手に持っていた長方形の木箱を、ひょいと頭上へ捧げるようにした。
「女が発狂する筈でござる」
「この驢馬仮面に至っては、いっそう殺生な器具でござる」もう一人の侍がそういうように云って、四角の木箱を胸の辺で揺すった。
「これでは女が発狂する筈で」
「我々の役目も厭な役目で」前の侍がさらに云った。「着けたり冠せたりしなければならない」
「お品という女、美しいそうで」
「が、明日は狂女となって、醜くなってしまいましょうよ」
云い云い二人の小姓らしい侍は、廻廊の方へ歩いて行った。が、蘇鉄《そてつ》の大株があり、それが月光を遮《さえぎ》っている、そういう地点までやって来た時、突然ワッという声を上げ、一人の侍が地に仆れた。
「これどうなされた? 粗忽《そこつ》千万な」
後の侍が驚きながら、仆れて動かない同僚の側へ、腰をかがめて立ち止まった。
と、その侍もウーンと唸って、持っていた四角の木箱を落とすと、両手を宙へ伸ばしたが、そのまま仆れて動かなくなった。と、蘇鉄の株の蔭から、抜き身をひっさげた新八郎が、スルスルと現われて二人の横へ立った。
「小糸氏、お切りなされたので?」
蘇鉄の蔭から貝十郎が訊いた。
「峯打ちに急所をひっ叩いたまででござる」云い云い新八郎は抜き身を鞘に納め、二つの木箱を地上から拾った。
「これから何んとなされるお気かな?」
貝十郎が不安そうに訊いた。
「可哀そうなお品を助け出すつもりで」
「ギヤマン室へ忍び込んでかな?」
「場合によっては切り込んで!」
十一
この頃三人の男女の者が、主屋《おもや》から廻廊の方へ歩いていた。
「伊豆殿、私《わし》はこう思うので、音物《いんもつ》は政治の活力だとな」こう云ったのは六十年輩の、長身、痩躯《そうく》、童顔をした、威厳もあるが卑しさもあり、貫禄もあるが軽薄さもある、変に矛盾した風貌態度を持った、気味のよくない侍であった。主人田沼主殿頭なのである。「私はな、日々登城して、国家のために苦労いたし、一刻として安き時はござらぬ。ただ退朝して我が家へ帰った時、邸の長廊下を埋めるようにして、諸家から届けられた音物類が、おびただしく積まれてあるのを見て、はじめて心の安きを覚え、働こうという勇気が起こりましてござるよ」
「ごもっとも様に存じます」こう合槌を打ったのは、後からついて来た四十年輩の侍で、眉細く口大きく、頬骨の立った狡猾らしい顔と、頑丈な体とを持っていた。他ならぬ松本伊豆守なのである。「音物《いんもつ》はお贈りする人の心の、誠の現われでございますれば、眺めて快く受けて楽しいよろしきものにございます」
「金銀財宝というものは、人々命にも代えがたいほどに、大切にいたすものではござるが、それらの物を贈ってまでも、ご奉公いたしたいという志は、お上に忠と申すもの、褒むべき儀にございますよ」
「御意《ぎょい》、ごもっともに存じます。志の厚薄は、音物の額と比例いたすよう、考えられましてございます」
「彦根中将殿は寛濶でござって、眼ざましい物を贈ってくだされた。九尺四方もあったであろうか、そういう石の台の上へ、山家の秋景色を作ったもので、去年の中秋観月の夜に、私の所へまで届けられたが、山家の屋根は小判で葺いてあり、窓や戸ぼそ[#「ぼそ」に傍点]や、板壁などは、金銀幣をもって装おってあり、庭上の小石は豆銀であり、青茅数株をあしらった裾に、伏させてあったほうぼう[#「ほうぼう」に傍点]は、活きた慣らした本物でござったよ」
「その際私もささやかな物を、お眼にかけました筈にございます」
「覚えておる、覚えておる」主殿頭は笑いながら、いそがしそうに頷いた。「小さな青竹の籃の中へ、大鱚《おおきす》七ツか八ツを入れ、少し野菜をあしらって、それに青|柚子《ゆず》一個を附け、その柚子に小刀を突きさしたものであった」
「その小刀と申しますのが……」
「存じておる、存じておる、柄に後藤の彫刻の、萩や芒をちりばめた、稀代の名作であった筈だ」
薄縁《うすべり》の敷かれた長廊下には、現在諸家から持ち運ばれた無数の音物が並べられてあった。屏風類、書画類、器類、織物類、太刀類、印籠類、等々の音物であった。そういう音物類を照らしているのは、二人の先に立って歩いている、女の持っている雪洞《ぼんぼり》の火であった。紅裏を取り、表は白綸子《しろりんず》、紅梅、水仙の刺繍《ぬいとり》をした打ち掛けをまとったその下から、緋縮緬《ひぢりめん》に白梅の刺繍をした裏紅絹の上着を着せ[#「着せ」は底本では「記せ」]、浅黄縮緬に雨竜の刺繍の幅広高結びの帯を見せた、眼ざめるばかりに妖艶な、二十歳ばかりの女であって、主殿頭の無二の寵妾、それはお篠の方であった。唇が蜂蜜でも塗ったように、ねばっこく艶々と濡れ光っている。紅で染めた紅い唇であって、淫蕩《いんとう》の異常さを示していた。
「さあ参ろうではございませぬか、妾と同じ顔をした、お品様がお待ちかねでございます」
お篠の方はこう云ったが、その声には惨忍な響きがあった。
十二
「お篠、お前には退治られたよ。お前にかかると私《わし》というものは、まるっきり私《わし》でなくなってしまう」
主殿頭はこう云い云い、廊下をゆるやかに先へ進んだ。
「いいえそうではございません」お篠の方は遮るように云った。「妾《わたくし》と全く同一嗜好《おなじこのみ》を、殿様にはお持ちなされていて、そこへ妾が参りましたので、それがお互いに強くなって、今日に及んだのでございます」
「それにしても伊豆殿へはお礼を云ってよい。次から次とお篠に似た女を、目付けて連れて来てくださるのでな」
「お品と申す今夜の女は、わけてもお篠の方に似ておられます」松本伊豆守は得意そうに云った。「ご満足なさるでございましょう」
「ままごと[#「ままごと」に傍点]というこの遊びを、私《わし》に教えてくだされたのも伊豆殿お前様であった筈だ」
「献上箱へ活きた犠牲《にえ》を入れ、殿へ音物としてお送りしましたのも、私が最初かと存ぜられます」
「さようさようお前様だ」
「抽斗《ひきだし》を引く、皿小鉢が出る。戸棚をあける、ご馳走が出る。抽斗を引く、盃が出る。戸棚をあける、酒が出る。……蒔絵を施した美しい、お勝手箪笥のあの『ままごと』! 酒盛りをひらくにすぐ間に合う、あの『ままごと』を妾《わたし》は好きだ! 『ままごと』をひらいてお酒盛りをする! それから献上箱の蓋《ふた》をあける! と、人形のよそおいをした、初心《うぶ》の未通女《おぼこ》の女が出る。引っ張り出して酌をさせる。それから? それから? それから? それから? ……もう『ままごと』も献上箱も、運ばれている筈でございます! 早く行こうではございませんか! 行ってままごと[#「ままごと」に傍点]をいたしましょうよ!」
うわ[#「うわ」に傍点]言のように云いながら、お篠の方は先へ進んだ。やがて三人は主屋《おもや》を抜け、ギヤマン室をつないでいる、長い廻廊へ現われた。やがて三人は見えなくなった。
ギヤマン室へはいったのである。
十三
「小糸氏さあさあ遠慮はいらない、ここでゆっくりお品殿と、ままごと[#「ままごと」に傍点]をしてお遊びなされ、拙者お相伴いたしましょう」
ここは神田神保町の、十二神《オチフルイ》貝十郎の邸であった。同じ夜の明け近い一時である。献上箱の蓋があいていたが、その中は空虚になっていた。その代り献上箱の横の方に、そうして小糸新八郎の、端坐している膝の脇に、京人形のよそいをした、お品が青褪めて坐っていた。
二人の前に貝十郎がいた。
その貝十郎の傍には、お勝手箪笥の『ままごと』が、抽斗《ひきだし》も戸棚もあけられた姿で、灯火に映えて置かれてあった。そこから取り出された酒や馳走類が、皿や小鉢や徳利に入れられて、三人の前に置かれてあった。
「実は松本伊豆守殿が、今日、一月十五日までに『ままごと』を一個納めるようにと、指物店山大へ命じたということと、お品殿が田沼侯の側室《そばめ》にあたる、お篠の方によく似ていて、そのお品殿が伊豆守によって、引き上げられたということとを、前者は拙者自分で調べ、後者は人伝てに聞きましたので、これは一月の十五日に伊豆守が田沼侯へ音物として、『ままごと』に添えてお品殿を、お贈りするのだと推察し、奪い返すことは出来ないまでも、確かめて見ようとこう思い、今宵伊豆守の邸の傍《ほとり》へ、忍んで様子を窺っていたのでござる。……ところがその果てがあの通りとなり、拙者も悉《ことごと》く胆を潰してござるよ。……それにしてもどうして館林様が、今夜の出来事を同じく察し、似たような『ままごと』と献上箱とを作り、どさくさまぎれ[#「どさくさまぎれ」に傍点]に伊豆守のそれと、すり換えたのか合点が行きませぬ。が、合点は行きませんでしたが、もう一組の『ままごと』と献上箱とが、横町を走って行くのを見た時、館林様が策略をもって、伊豆守の『ままごと』と献上箱とを、すり換えて奪って持って行くのだと、そこは拙者も職掌柄で、直覚的に知りましたので、二人の同心に云いつけて、途中からそれらの二品を、拙者の邸へ運ばせるよう、取り計らわせたという次第でござる。……それはそれとして館林様の仕立てた、『ままごと』や献上箱にはどのような物が、入れられてあるのでございましょうか。ちょっと見たいように思われますよ。実はそいつを見たいがために、拙者わざわざ貴殿の後から、田沼侯の邸へ行ったのでござるが、貴殿がほとんど死を決した様で、田沼侯の邸へ無鉄砲至極にも、切り込みをなさろうとなさるので、ようやくここまでお連れした次第。……敵の兵糧で味方が肥える。さあさああいつらの『ままごと』の中の、ご馳走で我々飲食しましょう。……ソレここに……もござる。構うことはない酒に混ぜて召され。その上で……をな、ハッハッハッ、お尽くしなされよ。お品殿はやつれて青褪めておられる。恢復なされ恢復なされ!」
十四
この頃京橋の、館林様の邸内の、奥まった部屋で館林様は、女勘助や神道徳次郎や、紫紐丹左衛門や鼠小僧外伝や、火柱夜叉丸や稲葉小僧新助などと、酒宴をしながら話していた。
「やくざな奴らでございますよ。私の手下ながらあの奴らは!」女の姿をした女勘助が、謝るようにそんなように云った。「同心めいた二人の侍が、後からあわただしく追っかけて来て、館林のお殿様が仰せられた、『ままごと』と献上箱とは神田神保町の、十二神《オチフルイ》貝十郎の邸まで、予定を変えて運んで行くように、と、こう私達に、云いましたので、そこで私達はその通りにしました。と手下《あいつ》ら云うじゃアございませんか、……ところがお殿様に承われば、そんなご命令はなかったとの事、やくざな奴らでございますよ、私の手下ながらあいつらは! 肝心な二品を横取られてしまって」
女勘助の手下達が、へま[#「へま」に傍点]をやったことを女勘助が、館林様へ詫びているのであった。
「十二神《オチフルイ》貝十郎は与力の中では、風変わりの面白い奴だ。そこの邸へ運んで行ったのなら、まあそれでもよいだろう」
館林様は案外平然と、怒りもせずにそんなように云った。
「今度の仕事には間接ではあるが、最初から十二神《オチフルイ》貝十郎が、関係をしていたのだからな」
「それはさようでございますとも」
易者姿をした神道徳次郎が云った。
「田沼の邸前で私達が、ままごと狂女達を雨やどりしながら、何彼と噂をしているのを、あの貝十郎が少し離れた所から、同じように眺めておりまして、大分考えていた様子でしたから、何かやるなとこのように思
前へ
次へ
全17ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング