! 人参などは愚かのこと、四目屋の薬など愚かのことで! 利きます利きます非常に利きます! 一粒飲めば胸もとが躍る、二粒飲めばこめかみ[#「こめかみ」に傍点]に汗、三粒飲めばワクワクする。四粒五粒と飲んで行くうちに、悉皆《しっかい》我慢が出来なくなる。さて一袋飲んだとする、この世がかの世か、かの世がこの世か、見境いのないことになり、うっちゃって置けば鼻血が出る。捨てっ放なしにして置けば、……もうこの後は云われない。……やッ」
とにわかに藤兵衛は云って、一方へ眼を走らせた。それからまたも喋舌り出した。
「ご大層もない人がお立ち寄りなされた! この節世上にお噂の高い『館林様』がお立ち寄りなされた! 深編笠、無紋のお羽織、紫柄のお腰の物、黙って道を歩かれても、威厳で人が左右へ除ける! お供はいつもお一人で……おやいけない、行っておしまいなさる!」
「館林様? ふうん、そうか」
公孫樹《いちょう》の蔭に佇んでいた、十二神《オチフルイ》貝十郎は呟きながら、右手の方へ眼をやった。
いかさま深い編笠を冠り、黒の衣裳に無紋の羽織、紫の紐で柄を巻いたきゃしゃ[#「きゃしゃ」に傍点]な大小を穏かに差し、袴なしの着流しで、塗り下駄を穿いた二十八、九歳の、貴人のように威厳のある武士が三十五、六の大兵の武士を、後に従えて人の群から離れ、町の方へ静かに歩きつつあった。
(こういう俗悪の世になると、ああいう神聖な人物も出る。反動的とでも云うのだろう)
貝十郎はこう思いながら、雀色になった夕暮れの中に、消え込んで行くその人の姿を、尊いもののように見送ったが、やがて藤兵衛へ近寄って云った。
「これ、薬を一袋くれ」
買った薬を懐中し、貝十郎は歩き出した。
(お篠という女が側室《そばめ》に上がった。……お篠という女に似た女が、盛んに変な狂人《きちがい》になる。……『ままごと』という変わった道具。……松本伊豆守が頻《しき》りに使う、……お品という娘がお篠に似ている。……松本伊豆守の用人がお品の店へ出入りをする。……一月十五日に『ままごと』が、伊豆守の邸へ届けられる。……新八郎氏がお品の情人《いろ》。……藤兵衛の売っていたこの薬? ……玄伯老にでも訊ねてみよう)
蘭医杉田玄伯の家へ、貝十郎がはいって行ったのは、初夜を過ごした頃であった。
三
こういうことがあってから、幾日か経
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