だ! ……大家のお嬢様であられるのに、お供も連れられずたったお一人で、悪漢《わる》や誘拐師《かどわかし》がうろついている、夕暮れ時の盛り場などへ、どうしてお越しになったのか? 思案に余ったからであろう! 途方に暮れられたからであろう! ごもっとも様でご同情します! 奇病! 奇病! 何んとも云えない奇病に、取りつかれておいでなされるからだ。……そこで藤兵衛は申し上げます、浅草を出て品川まで、すぐにもお出かけなさいませ! 助けるお方が出て参りましょう! 途中に変わったことがあっても、行った先に変わったことがあっても、決して恐怖《おそれ》なさいますな、救いの前には艱難《かんなん》があり、安心の前には恐怖があるもので! さあさあお出かけなさいませ! 一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうよ」
藤兵衛を取り巻いて二十人あまりの、閑そうな人間が立っていた。そういう人達に立ち雑って、お島がやはり立っていた。
年は十九、美人であった。藤兵衛のお喋舌りが終えると一緒に、お島はフラフラと歩き出した、浅草の境内から誓願寺通りへ抜け、品川の方へ歩いて行く。神田の筋へ来た頃には、町へ灯火が点きはじめた。
身長《せい》は高かったが痩せていた。苦痛のために痩せたものらしい。眼が眼窩の奥にあった。苦痛のために窪んだのであろう。瞳が曇って力なげであった。歩く足もとが定まらない。放心したように歩いて行く。――これがお島の姿であった。
ふとお島は振り返って見た。と、一人の侍が、彼女の背後《うしろ》から歩いて来ていた。
(薬売りの言葉は嘘ではなかった)
そう思ってお島は安心した。
(では一切あの男の言葉を、妾《わたし》は信用することにしよう)
彼女は溺れかかっているのであった。藁《わら》をさえ掴まなければならないのであった。藤兵衛の言葉は藁と云ってよかった。
――どうして自分の身の上と、どうして自分の心の苦痛と、どうして自分の病気のこととを、あの薬売りは知っているのであろう? ……これが彼女には不思議であった。
不思議ではあったがどうでもよかった。あの男が妾を救ってくれるのなら。で彼女は云われるままに、品川へ行こうとしているのであった。一人の立派なお武家様が、蔭身《かげみ》に添ってあなた様を、お守りなさるでございましょうと、こうあの薬売りの男
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