る、そういう蘭医達の家々で見かける、外科の道具類が置いてあり、書棚には書物が詰めてあった。
 その部屋に隼二郎がいないのである。では隣室へでも行ったのであろうか? いやその部屋は四方壁で、出入り口は一つしか附いていなかった。窓はあったが閉ざされていた。そうして一つだけの出入り口からは、お豊が出て行ったばかりであって、隼二郎は出ては行かなかった。それは貝十郎も見て知っていた。
(これはいったいどうしたことだ)

        八

 しかし貝十郎は部屋の中へはいって、隼二郎を探そうとはしなかった。この時またも庭の方から、女と男の叫び声が、逼迫して聞こえて来たからであった。で、貝十郎は飛び出して行った。月光の中でお豊と猪之助とが――諸人接待の馳走の席で、憎々しい反抗的態度と言葉とで、征矢野家の先代の悪口を、憚らず云っていたごろつき[#「ごろつき」に傍点]のような男――その猪之助とが格闘していた。と、前方から一つの人影が、二人目がけて走って来た。
「鏡ちゃん! いいところへ! 早く来ておくれ!」
「姉さん! あぶない! ……おのれ猪之助!」
「何を、こいつら! 邪魔をするな!」
 二人の格闘が三人となった。貝十郎は走って行こうとした。悪酔いがいまだに醒めなかった。足が云うことを聞かなかった。
「わッ」「斬ったな!」「態《ざま》ア見やアがれーッ」「あれーッ! 皆さん! 来てくださいヨ――!」
 一人が地上へぶっ倒れた。と、つづいてもう一人倒れた。そこから一人が走り出して来た。
「待て!」と貝十郎は身を挺して、走って来た猪之助を遮《さえぎ》ろうとした。体が云うことをきかなかった。
「邪魔だ! こいつも!」
 ドッとぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]た。よろめいた貝十郎の横をすり抜け、土蔵づくりの建物の中へ、猪之助は一散に走り込もうとした。と、赤い一点の火が、花の蕾のような形を取って、建物の入り口から現われた。扉がその背後《うしろ》で閉ざされている。
「ね、叔父様はお仕事中よ、ですからはいっちゃアいけませんの」
 焔の立っている蝋燭を持ち、その光に顔を輝かせ、佇んでいる娘がそういうように云った。それは他ならぬお三保であった。隣りの部屋に眠っていたところ、庭での騒ぎが起こったので、驚いて様子を見に来たものらしい。処女らしい美しさが驚きのために、純粋性を増して見えた。唇がポッとひら
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