十二神貝十郎手柄話
国枝史郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)髻《たぶさ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)田沼|主殿頭《とのものかみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#歌記号、1−3−28]
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    ままごと狂女


        一

「うん、あの女があれ[#「あれ」に傍点]なんだな」
 大|髻《たぶさ》に黒紋付き、袴なしの着流しにした、大兵の武士がこういうように云った。独り言のように云ったのであった。
 そこは稲荷堀の往来で、向こうに田沼|主殿頭《とのものかみ》の、宏大の下屋敷が立っていた。
「世上で評判の『ままごと女』のようで」
 こう合槌を打つものがあった。旅姿をした僧侶であった。
「つまり狂人《きちがい》なのでありましょうな」
 これも単なる問わず語りのように、こう呟いた人物があった。笈摺《おいずる》を背負った六部であった。と、その側に彳《たたず》んでいた、博徒のような男が云った。「迫害されて成った狂人なのでしょうよ」
「『ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ』こう云って市中を狂い廻るなんて、おお厭だ、恥ずかしいことね」
 すぐにこう云う者があった。振り袖を着た町娘で、美しさは並々でなかったが、どこかに蓮《はす》っ葉なところがあった。
「それが一人や二人でなく、この頃月に幾人となく、ああいう狂人の出て来るのは、変だと云えば変ですなあ」
 こう云ったのは総髪物々しく、被布《ひふ》を着た一人の易者であった。冷雨《ひさめ》がにわかに降り出したので、そこの仕舞家《しもたや》の軒の下に、五人は雨宿りをしたものと見える。
 今も冷雨は降っていた。その冷雨に濡れながら、髪を乱し衣紋を乱した、若い美しい狂人の娘が、田沼家の前を行ったり来たりしていた。
「ね、もう一度ままごと[#「ままごと」に傍点]をしようよ」
 そう喚く声がここまで聞こえた。が、間もなく姿が消えた。裏門の方へでも[#「でも」は底本では「ても」]行ったのであろう。
 パラパラと不意に降って来て、しばらく経つとスッと上がる。これが冷雨《ひさめ》の常である。冷雨が上がった。
「へい皆様、ご免くだすって」
 易者が最初に
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