して捕えるとは卑怯な奴、何故|宣《なの》って掛かって来ねえ」
 甚内は口惜しそうに詈った。
「瞞そうとまた騙《たばか》ろうと目差す悪人を縛《しょぴ》きさえすればそれで横目の役目は済む。卑怯呼ばわりは場違いだ!」男は寛々と云い放したが、そこで少しく居住居を直し、「おい甚内、それはそうと、あの時は酷《ひど》い目に合わせやがったな」
「それじゃやっぱりあの時の……」
「ふてえ[#「ふてえ」に傍点]分けをせびった野郎よ」
「それが今ではお上の目明し?」
「それも改心したからさ。……駿河台の大久保様、彦左衛門のご前に縋り、罪障|悉《ことごと》く許されたところから、表向きは古着|商売《あきない》、誠は横目ご用聞き、姓も飛沢を富沢と変え、昔は自分が縛られる身、今は他人を縛るが役目、富沢流取り縄の開祖、富沢甚内とは俺がこと、何んと胆が潰れたか!」
「ふふんそうか、いや面白え。……昔は同じ夜働き、三甚内と謳われた我ら、今は散々《ちりぢり》バラバラの、目明しもあれは女郎屋もある。これが浮世か誰白浪の俺一人が元のままの泥棒様とは心細いが、それもこうして縛られたからには二度と日の目は見られめえ。すなわち往生観念仏、三甚内はこの世からつまり消えたも同じ事、江戸は今からご安泰だ。アッハッハッハッ」と揺すり上げて勾坂甚内は笑ったが、それは悲壮な笑いであった。
 戸外《そと》では雪が降り出した。遅い今年の初雪で、一旦さっき止んだのがまたしめやかに降り出したのである。
 間もなく浅草鳥越において勾坂甚内は磔刑《はりつけ》に処せられ無残の最後をとげたそうであるが、庄司、富沢の二甚内はめでたく天寿を全うし畳の上で往生をとげ、一は吉原の起源を造り一は今日の富沢町の濫觴《らんしょう》を作《な》したということである。



底本:「銅銭会事変 短編」国枝史郎伝奇文庫27、講談社
   1976(昭和51)年10月28日第1刷発行
初出:「ポケット」
   1925(大正14)年1月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年2月21日作成
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