、前後に眼を配っている。つづいて血祭坊主が行く。つづいて行くのは島村左平次、戸村次郎左衛門、石川|内匠《たくみ》、石田典膳、古市喜左衛門、山辺勇助、中川蔵人、大森弾正、齋藤一八、雨森静馬、六郷六太郎、榎本金八郎、大河原八左衛門、辻五郎、秋山七左衛門、警衛として付いて行く。つづいて行くのが天一坊の輿物、飴色網代蹴出造、塗棒朱の爪折傘、そいつを恭々しく差しかけている。少し離れて行くものは、天忠坊日親で、これまた先箱を二つ立て、曳馬一頭を引かせている。つづいて行くのは藤井左京、抑えの人数を従えている。最後に馬上で行くものは、即ち山内伊賀之助、熨斗目麻上下を着用し、総髪にして蒼白い顔、鷲のように鋭く澄み切った眼、広い額に善謀を現し、角ばった※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]に果断を示し、高い頬骨に叛気を漂わせ、キッと結んだ唇に、揶揄、嘲笑をチラツカせている。これも片箱一本道具、曳馬無しに従えている。下座触制止の声を掛け、同勢すべて二百人、大坂を立って江戸へ入る。徳川天一坊の行列である。
 淀川堤へかかった時だ、山内伊賀之助上流を見た。
 蒲鉾小屋が立っている。
「ははあきれだ[#「きれだ」に傍点]な」と呟いたが、何となく不安の表情が、チラチラチラと眼に射した。
「荊軻《けいか》の賦した易水の詩、そいつを残して立ち去った乞食、鳥渡《ちょっと》心にかかる哩《わい》。荊軻は失敗したのだからな。そうだ刺客を心掛けて。秦の始皇帝を刺そうとして。……勿論我々の企ては、将軍を刺そうというのではない。いやむしろあべこべ[#「あべこべ」に傍点]だ。将軍になろうとしているのだ。しかし危険という点では、荊軻の企ての夫れよりも、より一層いちじるしい。……易水の詩! 失敗の詩! どうも幸先がよくないなあ」
 こんな気持を感じたのは、伊賀之助としては始めてであった。
「ナーニ何うだって構うものか、どうせヤマカンでやっていることだ。成功しようと思うのが、元々間違いといっていい。だがそれにしてもその乞食に、逢えなかったのが心残りとはいえる」
 下座触制止堂々と、行列は先へ進んで行く。
「九分九厘成就と思っていたが、何んだかあぶなっかしく[#「あぶなっかしく」に傍点]なって来た。弱気というやつだな、こいつは不可ない! どうでも追っ払ってしまわなければならない……一番俺にとって致命的なのは、曾て一度も狂わなかった、自信のある眼力の狂ったことさ。一つ狂うと二つ狂う、二つ狂うと三つ狂う。どうして最後まで狂わないといえよう。……仕官亡者と思っていた奴が、仕官亡者でなかったばかりか、不可解の謎を投げかけて、姿をかくしてしまったんだからな」
 追っ払おうと思えば思うほど、伊賀之助の心には乞食のことが、こだわり[#「こだわり」に傍点]となって残るのであった。
 伊賀之助ズラリと行列を見た。「これほどの行列を押し立てて江戸入りするという事だけでも、正しく男子の本懐ではないか。しかし思えば気の毒なものだ、誰も彼も成功を信じている。誰も彼も俺を信じている。立身するものと思っている。誰も彼も肝腎のこの俺が迷っているとは感付かない」
 自信が強ければ強いほど、それを破ったその物が、その者を傷つけるものである。
「何者だろう、是非逢い度い。そうして易水の詩を残した、乞食の心持ちを聞いてみたい」
 執着狂の夫れのように、伊賀之助はそればかりを思うようになった。
 そうして夫れは事が破れて、江戸は品川八ツ山下の御殿で、多くの捕吏《ほり》[#「捕吏」は底本では「捕史」]に囲繞《とりかこ》まれ、腹を掻っ切ったその時まで、彼の心を捉えたのである。

     五

「オイ赤川、もう駄目だよ」
 こういったのは伊賀之助。
「どうにか成りませんかな、伊賀之助殿」
 こういったのは赤川大膳。
 八ツ山下の御殿である。
「どうなるものか、海上を見な、すっかりあの通り手が廻っている」
 窓をひらくと品川の海、篝火《かがりび》を焚いた数十隻の船が、半円をつくって浮かんでいる。
「漁船のようには見えるけれど、捕方の船に相違ない。海上でさえあの通りだ。陸上の警固は思いやられる。蟻の這い出る隙間もない――ということになっているのだ」
「それに致しても」と赤川大膳さも不思議そうに伊賀之助へいった。「大事露見と見抜かれながら、天一坊はじめ天忠、左京まで町奉行所へ遣られたは、如何の所存でございますかな?」
「うむ、そいつか」と伊賀之助、苦々しそうに眉をひそめた。「あいつらみんな悪党だからよ。まず天一坊からいう時は、師匠の感応院を殺したばかりか、お三婆さんをくびり殺し、まだその外に殺人をした。また常楽院天忠となると、坊主の癖に不埓《ふらち》千万、先住の師の坊を殺したあげく、天一という小坊主をさえ殺したのだからな。藤井左京も十歩百歩、神部要助という伯母の亭主を、これまた殺しているのだからな。事もあろうにこれらの三人、目上の者を殺している。天人共に許さざる奴等、そこで刑死をさせてやろうと、大岡越前の手の中へ、わざわざ捕らせにやったのさ。そこへ行くとお前は少し違う。野武士時代にはあばれもしたろうが、恩顧を蒙った目上の者を、殺したことはないのだからな。そうして俺に至っては、人を殺《あや》めたことはない。で多少は許されるだろう。そこでお前に贋病《けびょう》を使わせ、そうして俺も贋病を使い、二人だけ此処へ残ったってものさ。……さあさあ大膳腹を切ろう。まごまごしていると捕方が来る。それにしても」と伊賀之助、苦渋の色を顔に浮べた。「淀川堤に住んでいた、乞食のことが気にかかる。……彼奴見抜いていたのだな! 今日のことを、露見のことを!」
 ドッとその時戸外にあたり、閧《とき》を上げる声が聞えて来た。つづいて乱入する物の音!
「いよいよ不可ねえ、さあ大膳、捕方が向かった、腹を切ろう!」
 差添を抜いた伊賀之助、腹へ突っ込もうとした途端、捕方ムラムラと込み入って来た。
「おのれ?」
 と飛び上がった赤川大膳、太刀を揮うと飛びかかった。
「御用々々!」
 と叫びながら、大膳の殺気に驚いたか、サーッと後へ引っ返した。
「どうせ駄目だよ、追うな追うな!」
 呼び止める伊賀之助の声を残し、遁《のが》れられるだけは遁れてみよう、こう思ったか追っかけた。
「御用々々!」
 と遠退く声!
「ワッ」と二、三度悲鳴がした。
 大膳が捕方を切ったのらしい。
「よせばよいのに殺生な奴だ! どうせ捕れるに決っている。覚悟の出来ていない人間は、最後の土壇場で恥を掻く。……が、俺には却って幸い、どれこの隙に腹を切ろう」
 左の脇腹へブッツリと、伊賀之助刀を突き立てた時、
「お見事!」
 という声が隣室でした。
 襖をひらいて現れたのは、青竹の杖をひっさげた、容貌立派な乞食であった。
「やッ、汝は!」と伊賀之助。
「淀川堤におりました者」
「汝が然うか? どうして此処へ?」
「御|首級《しるし》頂戴いたしたく……」
「俺の首をか、何んにする?」
「或お方のお屋敷へ参り、或お方へ近寄って、一太刀なりとも恨みたい所存……」
「ううむ」と唸ったが伊賀之助「身分をいわっしゃい! 名をいわっしゃい!」
「或お方の差金により、取潰された西国方の大名、その遺臣にござります」
「淀川における風流は?」
「ただ拙者という人間を、貴殿のお耳に入れようとな」
「うむ矢っ張り然うだったか。易水の詩を残したは? 我等の企ての失敗を、未然において察しられたか」
「正しく左様、一つには! ……が、同時にもう一つ、拙者の心境を御貴殿へ、お知らせ到そうと存じましてな」
「成程」
 といったが伊賀之助、次第々々に苦しくなった。顔は蒼白、血は流れる。「成程……貴殿は……荊軻の身の上! ……が、今度は拙者より申そう、その或お方は無雙の人物、失敗致そう、貴殿の計画!」
 だが乞食は悠然と「運は天にござります。ただ人力を尽したく……」
「立派なお心」と伊賀之助、首をグーッと突き出した。「ご用に立たば首進上! 死花が咲きます! いっそ光栄!」
 その時であった、戸外から、
「赤川大膳、捕った捕った!」
 捕方の声が聞えて来た。
「未熟者めが」と伊賀之助、嘲りの色を浮かべたが
「とうとう死恥を晒しおる! それに反して俺は立派だ! 義士の介錯受けて死ぬ。死後なお首が役に立つ! ……いざ首討たれい!」
 と引き廻わした。
「ご免」
 というと奇怪な乞食、仕込んだ太刀を引き抜いた。ピカリと一閃、スポリと一刀、ゴロリと落ちたは首である。
「伊賀之助、御用!」
 と捕方の声々、間間近く迫ったが、奇怪な乞食驚かなかった。
 死骸の形を綺麗に整え、傍の屏風を引き廻すと、伊賀之助の首級《くび》を抱きかかえた。
 と、スルスルと廻廊へ出た。
 襖を蹴仆《けたお》す音がして、踏み込んで来たのは捕方である。
 チラリと振り返った奇怪な乞食、ヒョイと右手を宙へ上げたが、恰も巨大な暁の星が、空から部屋へ飛び込んだように、一瞬間室内輝いた。
 眼を射られて蹣跚《よろめ》いた捕手が、正気に返って見廻した時には、首の無い山内伊賀之助の、死骸が残っているばかりで、乞食の姿は見えなかった。

     六

 さてそれから一年がたった。
 淀川堤に春が来た。
 例の穢い蒲鉾小屋に、例の乞食が住んでいた。そうして例の女がいた。だが女の風俗は、きらびやか[#「きらびやか」に傍点]な花魁の風ではなく、男と同じ乞食姿であった。
 茶も立ててはいなかった。香も焚いてはいなかった。蒔絵の硯箱も短冊もない。で勿論茶釜もなかった。名刀を仕込んだ青竹ばかりが、乞食の膝元に置いてあった。
 白木の箱が置いてある。
 どうやら大事の品らしい。
 春陽が小屋の中へ射し込んでいる。街道を通る旅人が見える。淀川の流れが流れている。
 白帆が上流へ帆走っている。
「流石は山内伊賀之助、眼力に狂いがなかったよ」
 こういったのは乞食である。寂しい苦笑が口許に浮かび、顔全体を憂欝に見せる。
「けっく妾にとりましては、その方がよろしゅうございました。ご一緒に住めるのでございますもの」
 こういったのは女である。嬉しそうにその眼を輝かせている。
「大岡越前と来た日には、煮ても焼いても食えない奴さ。伊賀之助の首を持参したら、俺の真意を早くも察し、乞食姿の俺を招じ、途方もなくご馳走をした揚句、政治というもののむずかしいことと、役人というものの苦衷とを、いろいろ話して聞かせた上、紋服を一|襲《かさね》くれたのだからな」チラリと長方形の箱を見たが「アッハハハ何んという態だ、ひどくその時の俺と来たら、しんみり[#「しんみり」に傍点]とした気持になり、切ってかかろうともしなかったのだからな」
「でもその時越前守様が、おっしゃったそうではございませんか『一年の間考えるがよい』と」
「ああ然うだよ、そういったよ。そうして今日が一年目だ」
「どう考えがつきました?」鳥渡不安そうに女が訊いた。
「俺はこんなように考えて了った。「一年考えるということが、もう抑々間違いだった」とな。……一年の間考えてごらん、張り切った精神なんか弛んでしまう。復讐なんていうものは、一種の熱気でやる可きものさ。考えたら熱気が覚めてしまう」
「それではせめて紋服なりと、刀でお突きなさりませ」
「そうさなあ、紋服をお出し」
 立ち上がった女箱を取ると、ポンとばかりに箱の蓋をあけた。
 差し延ばした乞食の手につれて、現れたのは一襲の紋服。
 スラリ刀を引き抜いて、グッとばかりに突くかと思ったら、刀も抜かず突きもせず、紋服をヒラリと着たものである。
「どんなように見える? 似合うかな?」
「ちっともお似合い致しません」
「そうだろうとも然うだろうとも、矢っ張り町奉行の品格がないと、町奉行の衣裳は似合わないと見える」
「お脱ぎなさりませ、そんな衣裳」
「うむ」というと脱ぎすててしまった。
「お怨みなさりませ一刀」
「馬鹿をおいい」と笑い出した。「予譲にまでは成り下がらないよ」
 菜の花の匂いが匂って来た。遠くで犬の吠声がする。
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