狂わなかった、自信のある眼力の狂ったことさ。一つ狂うと二つ狂う、二つ狂うと三つ狂う。どうして最後まで狂わないといえよう。……仕官亡者と思っていた奴が、仕官亡者でなかったばかりか、不可解の謎を投げかけて、姿をかくしてしまったんだからな」
追っ払おうと思えば思うほど、伊賀之助の心には乞食のことが、こだわり[#「こだわり」に傍点]となって残るのであった。
伊賀之助ズラリと行列を見た。「これほどの行列を押し立てて江戸入りするという事だけでも、正しく男子の本懐ではないか。しかし思えば気の毒なものだ、誰も彼も成功を信じている。誰も彼も俺を信じている。立身するものと思っている。誰も彼も肝腎のこの俺が迷っているとは感付かない」
自信が強ければ強いほど、それを破ったその物が、その者を傷つけるものである。
「何者だろう、是非逢い度い。そうして易水の詩を残した、乞食の心持ちを聞いてみたい」
執着狂の夫れのように、伊賀之助はそればかりを思うようになった。
そうして夫れは事が破れて、江戸は品川八ツ山下の御殿で、多くの捕吏《ほり》[#「捕吏」は底本では「捕史」]に囲繞《とりかこ》まれ、腹を掻っ切ったその時まで、彼の心を捉えたのである。
五
「オイ赤川、もう駄目だよ」
こういったのは伊賀之助。
「どうにか成りませんかな、伊賀之助殿」
こういったのは赤川大膳。
八ツ山下の御殿である。
「どうなるものか、海上を見な、すっかりあの通り手が廻っている」
窓をひらくと品川の海、篝火《かがりび》を焚いた数十隻の船が、半円をつくって浮かんでいる。
「漁船のようには見えるけれど、捕方の船に相違ない。海上でさえあの通りだ。陸上の警固は思いやられる。蟻の這い出る隙間もない――ということになっているのだ」
「それに致しても」と赤川大膳さも不思議そうに伊賀之助へいった。「大事露見と見抜かれながら、天一坊はじめ天忠、左京まで町奉行所へ遣られたは、如何の所存でございますかな?」
「うむ、そいつか」と伊賀之助、苦々しそうに眉をひそめた。「あいつらみんな悪党だからよ。まず天一坊からいう時は、師匠の感応院を殺したばかりか、お三婆さんをくびり殺し、まだその外に殺人をした。また常楽院天忠となると、坊主の癖に不埓《ふらち》千万、先住の師の坊を殺したあげく、天一という小坊主をさえ殺したのだからな。藤井左京
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