とが記されてある。
「慶安の巨魁由井正雪の孫、幕府に怨恨《うらみ》を含む所あり、市中に出でて婦女子を害す。追窮されて遊里に忍び、遂げられざるを知って自殺す云々」と。しかし、自害した真の原因は、お伝の方の美貌に魅せられ、大丈夫の魂の鈍ったことを悲しんだからに相違ない。
浦里のお千代は、兄と共々、深夜に廓を抜け出して、市中を横行した当時の覇気を、兄の死と一緒に封じ込み、ただ貞節の妻として奈良茂に仕えたということであった。
底本:「銅銭会事変 短編」国枝史郎伝奇文庫27、講談社
1976(昭和51)年10月28日第1刷発行
初出:「サンデー毎日 夏季増刊号」
1924(大正13)年7月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:阿和泉拓
校正:湯地光弘
2005年2月21日作成
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