と、不意に、紋十郎は、若衆の後から声を掛けた。ハッとして若衆は立ち縮《すく》んだ。
「寸志でござる。お受け取りくだされい」
 一葉の紙を突き付けた。
 若衆は無言で受け取って月の光で透かして見たが、
「や、これは某《それがし》が人相書き!」
「今夜のお礼に差し上げ申す――貴殿の今宵の働きに懲《こ》りて、白縮緬組の悪行も自然根絶やしになろうと存ずる。管轄違いの我らの手では取り締まりかねたこの輩を天に代わってのご制裁、お礼申さねば心が済まぬ。寸志でござればお収めくだされい」
 若衆は深く感動したが、言葉もなくて首垂《うなだ》れた。
「ご芳志有難くお受け申す」感情を籠めていうのであった。

 その同じ夜の暁であったが、其角《きかく》は揚屋の二階座敷の蒲団の上に端座して、じっと考えに更けっていた。
 先刻一蝶と約束した、読み込みの句が出来ないからで、禿《かむろ》の置いてあった酔い醒めの水を立て続けに三杯まで呑んで見たが、酔いも醒めなければ名案も出ない。
 仄《ほの》かな暁の蒼褪めた光が戸の隙間から射し込んで来て、早出の花売りの触れ声が聞こえる時分になっていたが、彼の苦吟は止まなかった。
「余人ならともかく一蝶と来たら、あれでなかなかの文章家だからな。変な下手な句は見せられぬ」
 こんなことを心で思ったりして益※[#二の字点、1−2−22]彼は考え込んだ。
 その時にわかに隣りの室へ、人がはいって来たらしく、ひそひそ話し合う気勢がする。
「こいつはどうも面白くない。隣りの室で騒がれたひにはいよいよもって句は出来ぬな」
 彼は渋面を作りながら、何気なく隣室の人声へ所在ない耳を傾けた。
 誰か苦しんででもいると見えて、呻吟の声が聞こえて来る。
 と、おろおろした女の声で、
「お兄様!」と呼ぶ声がする。それに続いて男の声で、
「若旦那様! しっかりなさりませ!」
 と、力を付けるような声もする。
「むう。むう」
 と苦しそうな呻吟の声は尚続いた、どうやら物でも嘔吐《はく》らしい。
 暁の光は次第に蒼く次第に明るく射し込んで来る。
 と、また女のおろおろ声。
「お兄様! お兄様!」
「若旦那様! 杜鵑之介《ほととぎすのすけ》様! 心をしっかりお持ちなさりませ!」男の声がそれに続く。
「何?」
 と其角は眼を見張った。
「杜鵑之介といったようじゃな? 杜鵑之介! 杜鵑! そうして今は
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