本先生が、然う仰せられるのだ。君も、これには反対することは出来まい」
「はい」
総司は黙って俯向《うつむ》いて了った。
思出の人
総司は、良順の介抱によって、今日|生存《いきながら》えているといってもよいのであった。はじめ総司は、他の新選組の、負傷した隊士と一緒に、横浜の、ドイツ人経営の病院に入れられて、治療させられたのであったが、良順は
「沖田は、怪我ではなくて病気なのだから」
と云って、浅草今戸の、自分の邸へ連れて来て療治したが
「この病気(肺病)は、こんな空気の悪い、陽のあたらない下町の病室などで療治していたでは治らない」
と云い、この千駄ヶ谷の植甚の離れへ移し、薬は、自分の所から持たせてやり、時には、良順自身診察に来たりして、親切に手を尽くしているのであった。この良順に
「甲府への従軍は不可《いけな》い」
と云われては、総司としては、義理としても人情としても、それに反《そむ》くことは出来なかった。
総司が、従軍を断念したのを見ると、勇は流石《さすが》に気毒そうに云った。
「その代り、わしが君の分まで、この刀で、土州の奴等や薩州の奴等を叩斬るよ」
と云い、
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