手にしやがれ。総司さんは妾一人の手で、介抱し通すってことさ)と呟くと、足早に歩き出した。
 浅草から千駄ヶ谷までは遠く、お力が、植甚の家付近へ迄帰って来た時には、夜になっていた。
「お力」
 と呼びながら、身長《せい》の高い肩幅の広い男が、大|榎《えのき》の裾《すそ》の、藪《やぶ》の蔭から、ノッソリと現われて来た。その声で解ったと見え、
「嘉十《かじゅう》さんかえ」
 と云ってお力は足を止めた。
「うん。……お力、何を愚図愚図しているのだ」
「あせるもんじゃアないよ」
「ゆっくり過ぎらア」
「それで窓へ石なんか投げたんだね」
「悪いか」
「物には順序ってものがあるよ」
「惚れるにもか」
「何んだって!」
「お前の身分は何なんだい」
「長州の桂小五郎様に頼まれた……」
「隠密だろう」
「あい」
「そこで細木永之丞へ取入った」
「新選組の奴等の様子さぐるためにさ」
「ところが永之丞にオッ惚れやがった」
「莫迦お云い。……彼奴《あいつ》の口から新選組の内情《うちわ》聞いたばかりさ……池田屋の斬込へも、彼奴だけは行かせなかったよ」
「手柄なものか。……彼奴の方でも手前《てめえ》にオッ惚れて、ウダウダしていて、機会を誤ったというだけさ」
「そのため永之丞さん斬られたじゃないか。……新選組の奴等を一人でも減らしたなア妾の手柄さ」
「ところが手前、今度は永之丞を斬った沖田総司を殺すんだと云い出した」
「池田屋で人一倍長州のお武士《さむらい》さんを斬った総司、こいつを討ったら百両の褒美だと……」
「懸賞の金を目宛てにして、総司を討ちにかかったというのかい。体裁のいいことを云うな。そいつア俺の云うことだ。手前は、可愛い永之丞の敵を討とうと、それで総司を討ちにかかったのさ。……そんなことは何うでもいいとして、その手前が何処がよくて惚れたのか、総司に惚れて、討つは愚《おろか》、介抱にかかっているからにゃア、埒《らち》があかねえ。……お力、総司は俺が今夜斬るぜ!」
 と、佐幕方の、目明《めあかし》文吉に対抗させるため、長州藩が利用している目明の、縄手の嘉十郎は云って、植甚の方へ歩きかけた。

   女夜叉の本性

(この男ならやりかねない)
 こう思ったお力は、嘉十郎の袂を掴んだ。
(剣技《わざ》にかけちゃア、新選組一だといわれている沖田さんだけれど、あの病気で衰弱している体で、嘉十郎に斬
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