り》さえ、黄昏《たそがれ》時の室の中の、鼠紫の空気の中では毒々しく光ることは出来ないらしい。あちこちに置かれた玻璃《はり》の道具、錫の食器、青磁の瓶――燈火《ともしび》の点《つ》かない一刻を仮睡《うたたね》の夢でも結んでいるように皆ひそやかに静まっている。
 月はもう空に懸かってはいるがしかし太陽は没していない。昼でもなければ夜でもない。夜と昼との溶け合った真に美しい一刻である。
 薄暮時《たそがれどき》のこの一刻を、私はしばらく味わおうとして食堂の椅子へ腰かけていた。
 耳を澄ませば窓の外の芭蕉や蘇鉄の茂みから孔雀の啼き声が聞こえて来る。名残の太陽を一杯に浴びてまだまだ戸外は明るいと見える。孔雀の啼き声と競うように高い鋭い金属性の鸚鵡《おうむ》の啼き声も聞こえて来る。窓外の壁板に纒っている冬薔薇の花が零《こぼ》すのであろう、嗅ぐ人の心を誘って遠い思い出へ運んで行くような甘い物憂いまた優しい花の香が開け放された窓を通して馨って来る。その花の香に誘われて私の心は卒然と三年前に振りすてた故国の我が家へ帰って行く。……
 夕の鐘が鳴り出した。回教寺院《モスク》で鳴らす祈祷の鐘だ。冬といっても
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