一生懸命で掻いている。この辺は木立がまばらなので月光が隙から射して来る。その月光に照らし出された豹の姿の美しさ、軟かな毛並み鮮かな斑点、人の児のような優しい手つきでセッセと爪を磨《と》いでいる。私はしばらく見ていたが内側から扉を足で蹴ると扉を掻く音をヒタと止めて、少しの間考えていたがやがて抜き足して小屋を離れて幹を伝って丘へ下りた。そして林へはいって行った。
林に住んでいる獣のうち山羊や小猿はよく慣れて毎日小屋の辺へ集まって来た。そして私から餌を貰っては喜んでそれを食べるのであった。最初は恐れていた小鳥達も次第次第に慣れて来て終いには銃眼から小屋の内へまで恐れ気もなく舞い込んで来て小鳥らしい可愛い悪戯《いたずら》をして――たとえば糞を落としたり椅子のもたれ[#「もたれ」に傍点]をつついたりして――そしてまた同じ銃眼から林の方へ帰るのであった。ある日私は山羊を捉らえて試みに乳を絞って見た。すると純白の不透明の乳液《ちち》が、椰子の実の椀に三杯取れた。それは大変味がよくてきわめて立派な飲料であった。煙草《たばこ》には不自由しなかった。野生の煙草の木がどこにでもあって立派な刻煙草《きざみ》になるからである。手製のパイプへそれを詰めて惜し気なくそれを吹かす時私は真に幸福であった。小憎らしいのは猩々である。遠くの木の股から顔を出して二日でも三日でも見守っている、弓を向けると仰天して周章《あわ》てて葉蔭へ隠れるけれど少し経つとやっぱり覗いている。嫉妬深い獣の習慣《つね》として私と戯れている小猿達を見ると、彼は猛烈に岡焼きして気味の悪い声で吠え立てて威嚇《おどか》そうとするのであった。
一|哩《マイル》ほど林を行くと蘆《あし》の茂っている川がある。そこには幾匹かの鰐《わに》がいて、獲物の来るのを待っている。ある日私は友人と一緒に――すなわち山羊や小猿を連れてその川の方へ猟に行った。間もなく川の岸へ出た。その岸を私と友人達とは喧騒《さざめ》きながら歩いて行った。すると私の目の前にいた一匹の元気のよい青年の山羊が、水を飲もうとして川へ下りた。とその瞬間褐色をした一本の材木が首を上げた。カッとその口を開けたかと思うと山羊の半身は鞠のようにその口の中へ飛び込んだ。材木と思ったのは鰐であって鰐はそのまま水音を立てて水底深く沈んでしまってどうすることも出来なかった。またある時のことであるが、やはり私は友人を連れて沼沢地方を歩いていた。蘆や薄《すすき》が生い茂ってそれが身長の倍ほども延びて空に向かって靡いている。私の友人の猿や山羊は沼沢地方が珍らしいと見えて、私より先に走って行って騒がしくお喋舌りを交《かわ》せている。ところが突然そのお喋舌りが糸を切ったように断ち切れた。
二十九
それと一緒に沼の方角で悲しそうな獣の吠え声がする。そして何物か薄を分けて沼の方へ辷って行くらしい。私はちょっと躊躇したが次の瞬間には沼を目がけて夢中のように走っていた。いずれまたきっと鰐のために友達を取られたと思ったからだ。しかし私は十間と走らず思わずギョッと立ち止まった。あまりの恐ろしさに私の体は一時にゾッと鳥肌立って頭の髪さえ逆立った。私の体で役立つものは見開いた二つの眼ばかりで手も足も力を失ってしまった。
一頭の大鹿を横に喰わえた一匹の蟒蛇《うわばみ》が蜿蜒と目の前の雑草を二つに分けて沼の方へ駛《はし》っているではないか! 私の友達の山羊や小猿がお喋舌りを止めた筈である。私さえ一声も出せなかった。蟒蛇の姿が沼の中へ全く沈んでしまった時やっと魂を取り返した。私は初めて悲鳴を上げ沼とは反対の方角へ足を空にして走り出した。すると一度に山羊も猿も私の後から叫びながら気狂いのように走って来た。
私のその時の恐怖と云ったらその夜全身発熱して二日というもの小屋の中から一歩も戸外へ出られなかったというそういう事実に徴しても知れる。全くそれは私にとっては産まれて初めての恐怖であった。
しかし間もなくその次に起こった「あり得べからざる奇怪の事件」「人類学上の一大奇蹟」その怪事件に比較してはほとんど恐怖とは云えないかもしれない。
「人類学上の一大奇蹟」! それはいったいいつ起こったのかというに、鹿を呑む大蛇を眼に見てから十日ほど経ったある日のことで、その日私は小屋に籠もって煙草ばかりポカポカ吹かしていた。小屋の外では山羊や猿や独唱好きの小鳥などが、私を呼び出そうとするかのように賑やかに絶え間なく喋舌っている。風もないかして林の中は森然《しん》と静まり返っている。
彼らの呼び出しに応じようともせず私はいつまでも室にいた。
するとにわかに彼らの声が糸を切ったように断ち切れた。糸を切ったように絶えた時にはいつでも恐ろしい彼らの敵が彼らを襲う時である。何物が襲って来
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