難したのはあまり損でもなかったのだね」
「天の祐《たす》けというものでしょう」
 三人は愉快そうに哄笑した。林の中からは乙女の唄が尚のどやかに聞こえて来る。真昼の光で樹々の梢《こずえ》は黄金のように輝いている。

        二十四

 ボルネオ政庁の玄関には山のように人々が集まっていた。南国の空はよく晴れて朝陽がキラキラと輝いている。椰子《やし》の葉隠れに啼いている鳥も今日の門出を祝うようだ。一台の自動車が見物を分けて静かに前へ辷《すべ》り出た。車内にはラシイヌとダンチョンとマハラヤナ博士とマーシャル氏とが元気の溢れた顔をして悠然と坐席に着いている。この勇敢な探検隊をよく見ようとして群集は自動車の周囲《まわり》へ寄って来た。政庁の露台《バルコニー》には州知事をはじめサンダカン市の名誉職達が花束を持ちながら並んでいる。道路には警官が立ち並んで大声で群集を制している。家々の門には国旗が立てられ、街の四辻の天幕《テント》張りからは楽隊の音色が聞こえて来る。
 その時知事は露台《バルコニー》の上から、その探検の成功と隊員の無事とを祈りながら花束を自動車へ投げ込んだ。それに続いて名誉職達は手に手に持っていた花束を雨のように下へ投げ下ろした。楽隊は進行曲《マーチ》を奏し出す。見物の群集は閧《とき》を上げる。響きと色彩《いろ》と人の顔とが入り乱れている雑沓《ざっとう》の間をそろそろと自動車は動き出した。やがて市中を出外れると一時間二十|哩《マイル》の速力で自動車は猛然と走り出した。目差すところは森林である。その森林には探検用のさまざまの道具を守りながらレザールが待ち受けているのである。こうして自動車は進みに進みその日の正午を過ごした頃、遙か彼方の護謨林の中に幾個か張られた天幕《テント》の姿が白く光るのを見るようになった。自動車が近付くに従って林の中から一行を迎える歓呼の声が聞こえて来た。純白の天幕を囲繞《とりま》いて銅色の肌をした土人どもが蠅《はえ》のようにウヨウヨ集まっている。その中に一人白々と夏服姿の若紳士が小手をかざして見ているのは無論レザールに相違ない。
 自動車は警笛を吹き鳴らし次第次第に速力を弛めだんだん林に近寄って行った。そして全く停まった時には自動車の周囲《まわり》は土人の群で身動きもならないほど取り巻かれた。彼らは一斉に手を上げて無事の到着を祝すための奇妙な叫び声を挙げるのであった。
 ラシイヌの一行は自動車を降りて土人の中を掻き分けながらレザールの後に従って天幕の方へ歩いて行った。林の中の有様はちょうど軍隊が野営したかのように、活気と混雑とに充たされている。馬や水牛は草を喰《は》みながら絶えず尻尾を振っている。小虫の集まるのを防ぐためだ。火を焚いている土人がある。いずれもほとんど半裸体で足に藁靴《わらぐつ》を穿きながら、その足でパタパタ地面をたたいてボルネオ言葉で話し合い時々大声で笑い出す。弓を引いている土人もある。護謨《ゴム》の林の奥を目がけてヒューッとその矢を放すと同時に、木立の上から南洋鷹が弾丸のように落ちて来た。武器の手入れをする土人もある。銅笛を吹いている土人もある。競走《マラソン》をしている土人もある。
 十数《いくつか》の天幕《テント》を支配するかのように、巨大の天幕がその中央に棟高く一張張られてあったが、ラシイヌ達の一行はその天幕へはいってきた。
 ラシイヌは四辺《あたり》を見廻してから事務的口調で質問《きき》だした。
「土人は一人も逃げないかね?」
「そのうちポツポツ逃げ出すでしょうが、今のところ一人も逃げません」事務的口調でレザールも云った。
「それでは総勢百人だね?」ラシイヌは軽く頷《うなず》いて、「探検用の道具類は一つも盗まれはしないだろうね?」
「一応調べることに致しましょう」
 天幕二つに満たされてある道具類の検査が始まった。一つの天幕には武器の類が順序よく並べて置かれてある。七十挺の旋条銃、一万個入れてある弾薬箱、五十貫目の煙硝箱、小口径の砲一門、五個に区劃した組立て船、二十挺の自動銃、無数の鶴嘴《つるはし》、無数の斧、シャベル、鋸《のこぎり》、喇叭《らっぱ》、国旗、その他|細々《こまごま》しい無数の道具……もう一つの天幕には食料品が山のようにうず高く積まれてある。それに蒙昧《もうまい》の野蛮人を帰服させるための道具として数千粒の飾り玉やけばけばしい色の衣服《きもの》類や無数の玩具やを箱に入れてこの天幕に隠して置いたが、それら一切の武器や食料は少しも盗まれてはいなかった。
 その夜はそこで一泊して翌日いよいよ奥地を目掛けて探検隊は出発した。河幅おおよそ二町もあるバンバイヤ河の岸に沿って元気よく出発したのである。アチン人種、馬来《マレー》人種、ザンギバール人種、マホメダ人種、さまざまの人
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