五右衛門と新左
国枝史郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)病葉《わくらば》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)いま暫|爰《ここ》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「封/帛」、第4水準2−8−92]間
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)おの/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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一
「大分世の中が静かになったな」
こう秀吉が徳善院へ云った。
「殿下のご威光でございます」
徳善院、ゴマを磨り出した。
「ところが俺は退屈でな」
「こまったものでございます」
「趣向は無いか、変った趣向は?」
「美人でもお集めになられては?」
「少々飽きたよ、実の所」
「それに淀殿がおわすので」顔色を見い見いニタリとした。
「うん淀か、可愛い奴さ」釣り込まれて秀吉もニタリとした。
後庭で鶴の声がした。
色づいた楓の病葉《わくらば》が、泉水の中へ散ったらしい。
素晴らしい上天気の秋日和であった。
「趣向は無いかな、変った趣向は?」
秀吉は駄々をこね出した。
「さあ」
と云ったが徳善院、たいして可い智慧も出ないらしい。
トホンとして坐わり込んでいる。
「ほい」
と秀吉は手を拍った。「あるぞあるぞ珍趣向が!」
「ぜひお聞かせを。なんでございますな?」
「茶ノ湯をやろう、大茶ノ湯を」
「なんだつまらない[#「つまらない」に傍点]、そんな事か」心の中では毒吐いたが、どうして表面は大恭悦で、ポンと額まで叩いたものである。
「いかさま近来のご趣向で」
「場所は北野、百座の茶ノ湯」
「さすがは殿下、大がかりのことで」
合槌は打ったが徳善院、腹の中では舌を出した。「へへ腹でも下さないがいい」
「ふれ[#「ふれ」に傍点]を廻わせ! ふれを廻わせ!」
秀吉は例の性急であった。
「大供《おおども》が悪戯《わるさ》をやり出したわい。さあ忙《せわ》しいぞ忙しいぞ!」徳善院は退出した。
×
石田治部少輔、益田右衛門尉、この二人が奉行となった。
「さる程に両人承て人々をえらび、茶ノ湯を心掛けたる方へぞ触れられける。大名小名是を承はり給ひてこは珍敷々々面白きご興行かな、いかにとしてか殿下様へ、お茶をば申べき、望ても叶べき事ならず、かゝる御意こそ有難けれと、右近の馬場の東西南北に、おの/\屋敷割を請取て、数奇屋を立てられける」
こうその頃の文献にあるが、これはとんでもない[#「とんでもない」に傍点]嘘なのであった。みんなは迷惑をしたのであった。
「さて、和漢の珍器、古今の名匠の墨跡[#「墨蹟」は底本では「黒蹟」]、家々の重宝共此時にあらずばいつを期すべきと、我も/\と底を点じて出されける」
これは何うやら本当らしい。
秀吉の御感を蒙って、高値お買上げの栄を得ようか、お目に止まったに付け込んで、献上して知行増しを受けようかと、そういうさもしい[#「さもしい」に傍点]心から、飾り立て並べたものらしい。
「さる程に時移りて、已に明日にもなりしかば、秀吉公仰せられけるは、一日に百座の会なれば、天あけてはいかがかとて、寅の一天よりわたらせ給ふべきよし、仰出されけり。お相伴には、玄以法印、法橋紹巴をめされける」
これも将しく其の通りであった。
「大小名のかこひの前なる蝋燭は[#「蝋燭は」は底本では「臘燭は」]、たゞ万燈に異ならず、百座の会なれば、いかにも短座に見えにけり」
これにも相違は無かったらしい。
「かくて時刻も移りければ、やう/\百座成就し給ひて、還御をよびたまふ。秀吉公西をごらんありければ、すこし引き退きて萱の庵見えにけり」
「玄以玄以」と秀吉は呼んだ。「鳥渡風流だな。何者か?」
「一興ある茶湯者《すきしゃ》でございます。堺の住人とか申しますことで」
「おおそうか、寄って見よう」
「竹柱にして、真柴垣を外に少しかこひて、土間をいかにも/\美しく平《なら》させ、無双の蘆屋釜を自在にかけ、雲脚をばこしらへて、茶椀水差等をば、いかにも下直なる荒焼をぞもとめける。其外何にても新きを本意とせり。我身はあらき布かたびらを渋染にかへしたるをば着、ほそ繩を帯にして、云々」
これが庵の有様であり又亭主の風貌であった。
亭主は土に額をつけ、かしこまって謹しんでいた。
二
「作意の働き面白いな。手前を見たい。一服立てろ」
秀吉は端座した。
亭主、恭しく一揖し、雲脚を立てて参らせた。
「これは、よく気が付いた。百座の茶、湯で満腹だ。かるがると香煎を出したのは、言語道断云うばかりもない。……名は何んというな、其方《そち》の名は?」
「無徳道人石川五右衛門。京師の浪人にございます」
「おおそうか、見覚え置く」
で、秀吉は帰館した。
×
伏見城内奥御殿。――
秀吉は飽気に取られていた。
淀君は今にも泣き出しそうであった。
小供の秀頼は這い廻わっていた。
侍女達はウロウロまごついていた。
一体何事が起こったのであろう?
大閤殿下の衣裳の襟が小柄で縫われていたのであった。
驚き恐れるのは当然であった。衣裳の襟を縫ったのである。胸を刺そうと思ったら、胸を刺すことさえ出来たろう。或は胸を刺そうとして、故意《わざ》と襟を縫ったのかも知れない。
「謀反人がいる! 謀反人がいる!」
表も裏も騒ぎ出した。
けっきょく石川五右衛門という、京師の浪人に疑がかかった。
「それ召捕れ」ということになった。
秀吉の威光で探がすことであった。苦もなく五右衛門は召捕られた。
とりあえず長束正家が、取調役を命ぜられた。
「衣裳の襟を縫いましたは、いかにも私でございます。あまり縫いよく見えましたので。……別に他意とてはございません」
これが五右衛門の申状であった。
「あまり縫いよく見えたというか? ふん」
と秀吉は小首をかしげた。
「その者直々俺が調べる」
秀吉は正家にこう云った。
そこで五右衛門は破格を以て秀吉の御前へ引き出された。
「俺の体に隙があったと、こうお前は云うのだな?」
「御意の通りにございます」五右衛門は少しも臆せなかった。
「で、どんな時、隙があった?」
「ご退座という其の瞬間、お体が斜になられました時」
「うむ、その時隙が見えたか?」
「はい、左様でございます」
秀吉は鳥渡考えた。
「よく申した、味のある言葉だ。斜? 斜? 側面だな?……いや全く世の中には側面ばかり狙う奴がある。とりわけ徳川内府などはな。……どうだ五右衛門、俺に仕えぬか」
「これは何うも恐れ入ったことで」
「得手は何んだ? お前の得手は?」
「はい、些少《いささか》、伊賀流の忍術《しのび》を……」
「ほほう忍術か、これは面白い。細作として使ってやろう。……これ、此の者に屋敷を取らせろ」
こんな塩梅に五右衛門は、ズルズルと秀吉の家来になった。
×
「居るかえ」
と云い乍ら這入って来たのは、お伽衆の曽呂利新左衛門であった。
「やあ新左、まず這入れ」
五右衛門はポンポンと座を払った。
二人は非常な親友なのであった。
その対照が面白い。
新左衛門は好男子、水の垂れるような美男であった。
それに反して五右衛門は、忍術家だけに矮身で、猪首の皺だらけの醜男であった。
新左衛門は町人出、これに反して五右衛門は、北面の武士の後胤であった。
一人は陽気なお伽衆、然るに、一方は陰険な細作係というのであった。
が、二人には一致点もあった。
「世の中が莫迦に見えて仕方が無い」――と云うのが即ち夫れであった。
そうして夫れが二人の者を、ひどく仲宜くさせたのであった。
「五右衛門」
と新左はニヤニヤしながら「俺は滅法儲けたぜ」
「お前のことだ、儲けもしようさ」五右衛門は茶釜を引き寄せた。
「まあ聞くがいい、耳を嗅いだのさ」
「え、なんだって、耳を嗅いだ? なぜそんなことをしたんだい?」五右衛門も是れには驚いたらしい。
「手段《て》だよ、手段《て》だよ、金儲けのな」
三
「で、誰の耳を嗅いだんだ[#「嗅いだんだ」は底本では「嗅いたんだ」]?」
「殿下の耳を、云う迄もねえ」
「へえ、それで金儲けか?」
「加藤、黒田、浅野、生駒、そいつらの顔を睨め乍ら、殿下の耳を嗅いだやつさ。すると早速賄賂が来た。告口されたと思ったらしい。尤もそいつ[#「そいつ」に傍点]が付目なのだが」
「アッハハハ成程な。お前らしい遣口だ。人生《ひとのよ》の機微も窺われる。……それはそうとオイ新左、お前この釜に見覚えはないか?」
「どれ」
と云って見遣ったが「アッこいつア楢柴だ!」
「殿下ご秘蔵の楢柴よ」
「どうしてお前持ってるのだ?」新左衛門は仰天した。
「どうするものか、借りて来たのさ。無断拝借というやつよ」
「それじゃお前、泥棒じゃアないか」
「なぜ悪い、可いじゃないか。どうせ無駄に遊んでいる釜だ。二、三日借りて立ててから、こっそり返えしたら、わかりっこはない」
「そんな勝手が出来るものかな」新左衛門は感心した。「つまり何んだ、忍術だな。……忍術って本当に可いものだな」
「そうさ、お前の頓智ぐらいな」
「なんだ、莫迦な、面白くもねえ」厭な顔をしたものである。
「おい五右衛門」と新左衛門は云った。「秘伝は何んだ、忍術の秘伝は? 思うに隙を狙うのだろう?」
「隙を狙うには相違無いさ。が、尋常の隙では無い。……用心から洩れる隙なのだ。固めから崩れる隙なのだ。開けっ放しの人間には、仲々忍術は応用出来ない」
「ははあ然うか、これは驚いた。頓智のコツとそっくり[#「そっくり」に傍点]だ。……頓智とは弱点を突くことさ。用心堅固の奴に限って沢山弱点を持っている。その弱点をギシと握り、チョイチョイ周囲《まわり》をつっ[#「つっ」に傍点]突くのさ。……まとも[#「まとも」に傍点]に突くと皮肉になる。皮肉になると叱られる。そこで軽くつっ[#「つっ」に傍点]突くのさ。……そうだ或る時こんなことがあった。『余の顔は猿に似ているそうだ。どうだ、ほんとかな、似ているかな?』こんなことを殿下が仰せられた。列座の面々一言も無い。こいつァ何うにも答えられない筈さ。事実猿には似ているのだが、相手が殿下だ、そうは云えない。で、いつ迄も無言の行よ。そこで俺が云ったものさ。『いえいえ然うではございません。つまり猿の顔なるものが、殿下に似ているのでございます』とな。すると大将大喜びだ。早速拝領と来たものさ。アッハハハこの呼吸だよ」
「いや面白い、そうなくてはならない」五右衛門は感心したらしい。
釜の湯がシンシンと音を立てた。
早咲の桜がサラサラと散った。
どこかで鶯の声がした。
将に閑室余暇ありであった。
×
「お前は飛行出来るかな?」
或る時秀吉が五右衛門に訊いた。
「自由自在でございます」
これが五右衛門の返辞であった。
「俺を連れて飛べるかな?」
「いと易いことでございます」
「都は祇園会で賑わっているそうだ。ひとつ其奴《そいつ》を見せてくれ」
「かしこまりましてございます」
五右衛門はこう云うと懐中から、鳶の羽根を取り出した。
「いざお召し下さいますよう」
それから後の光景は、こう古文書に記されてある。
「……雲の原へとぞ上りける。遙の下を見給へば、蒼海まん/\として、魂をひやせり。我にもあらぬ心地にて、なにと成りゆくやらんと覚しにける。かくて尽きぬとおもう時に、目をおきて見給へば、ほどなく大山に立りける杉の上にぞ落着ける。殿下こゝはいづくの国、いかなる所ぞと宣まへば、是こそ都の西山、愛宕山と申処にて候、祇園会もいまだ始まらず候間、いま暫|爰《ここ》におはしまして、ご休息有べし、さりながら、何にても食事の望に候はんまゝ、是にしばしまたせ給へ、とゝのへてきたり候はんとて、つゐ立ちけるとおもへば、く
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