遺憾乍ら[#「遺憾乍ら」は底本では「遣憾乍ら」]記すことが出来ない。いずれ素晴らしい術比べが、闇中で行われたことだろう。
 とまれ其の結果、伏見城方では、十人の人間が殺された。そうして大閤秀吉は、曽呂利新左衛門の頓智によって、あやうく命を助かった。
 小笠原民部一人を抜かし、後の九人の忍術家達は、二時間ばかりの其の間に、五右衛門の精妙な法術のため、屈折されて了ったのであった。そこで五右衛門は城中大奥、秀吉の居る隣室まで、堂々と入り込んで来たそうである。
 忽然その時秀吉の耳へ小供の泣声が聞えて来た。火の付いたような泣声であった。しかも秀頼の声であった。
「や、若が泣いている」
 ハッと思った一刹那、秀吉の体はズルズルと、一尺ばかり前へ出た。何者かの力が引き出したのであった。「うむ、しまった!」と気が付くと共に、小供の泣声がハタと止んだ。
 陰々滅々静かであった。
 と、呼ぶ声が聞えて来た。
「殿下! 殿下! 在しませぬかな!」
「応」と我知らず答えようとした途端、
「……世に盗賊の種は尽きまじ」と、曽呂利新左衛門が大声で呼んだ。「五右衛門、上の句を付けてくれ!」
 すると隣室から笑う声がした。
「うむ、新左か、新左がいたのか! アッハハハ、そうであったか。……石川や浜の真砂は尽くるとも。……沙阿弥! 沙阿弥! 沙阿弥はいぬか!」
 お坊主沙阿弥は迂濶りと、「ヘーイ」と大きな返辞をした。と、スルスルと沙阿弥の体は、隣の部屋まで引き出されて行った。
 が、その後は何事も無かった。沙阿弥の死骸はその翌日、泉水の畔で見出された。

     七

 秀吉暗殺の壮図破れ、面目を失った五右衛門は、秀次の許を浪人! ふたたび剽盗の群へ這入った。
 秀次が高野山で自尽した後、しばらくあって五右衛門も、新左衛門の手で捕えられた。
 千鳥の香爐の啼音に驚き、仙石権兵衛の足を踏み、法術破れて捕えられたのでは無い。
 瓜一つのために捕えられたのであった。
 京師警備の任にあった、徳善院前田玄以法師が、或る日数人の従者を連れ、大原野を散歩した。その中には曽呂利新左衛門もいた。
 それは中夏三伏の頃で、熱い日光がさしていた。
 と、一つの辻堂があった。縁下から二本の人間の足が、ヌッと外へ食み出していた。そうして其の側に一つの瓜が、二つに割られて置いてあった。
 一行はそのまま通り過ぎようとした。
 機智縦横の新左衛門だけが、それに不審の眼を止めた。
「徳善院様徳善院様」
 彼はそっと囁いた。「誰か人が寝て居ります」
「附近の百姓が労働に疲労《つか》れ、辻堂で昼寝をしているのさ」徳善院は事も無げに云った。
「足をごらんなさりませ」
「人間の足だ、異ったこともない」
「白くて滑らかで細うございます。百姓の足ではございません」
「そう云えば百姓の足では無いな」
「瓜が傍に置いてあります」
「さようさ、瓜が置いてあるな」
「蠅が真黒にたかっ[#「たかっ」に傍点]て居ります」
「蠅や虻がたかっ[#「たかっ」に傍点]ている」
「あれは賊でございます」新左衛門は自信を以って云った。
「夜働きに疲労れた盗賊が、瓜の二つ割で毒虫を避け、昼寝をしているのでございます」
「うん、成程、そうかも知れない。それ者共召捕って了え!」
 素晴らしい格闘が行われ、その結果賊は捕縛された。
 それが石川五右衛門であった。



底本:「蔦葛木曾棧」桃源社
   1971(昭和46)年12月20日発行
初出:「大衆文芸 第一巻第一号」
   1926(大正15)年1月号
※「※[#「封/帛」、第4水準2−8−92]」と「幇」との混在は底本通りにしました。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也、小林繁雄
2007年4月5日作成
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