そち》の名は?」
「無徳道人石川五右衛門。京師の浪人にございます」
「おおそうか、見覚え置く」
 で、秀吉は帰館した。

        ×

 伏見城内奥御殿。――
 秀吉は飽気に取られていた。
 淀君は今にも泣き出しそうであった。
 小供の秀頼は這い廻わっていた。
 侍女達はウロウロまごついていた。
 一体何事が起こったのであろう?
 大閤殿下の衣裳の襟が小柄で縫われていたのであった。
 驚き恐れるのは当然であった。衣裳の襟を縫ったのである。胸を刺そうと思ったら、胸を刺すことさえ出来たろう。或は胸を刺そうとして、故意《わざ》と襟を縫ったのかも知れない。
「謀反人がいる! 謀反人がいる!」
 表も裏も騒ぎ出した。
 けっきょく石川五右衛門という、京師の浪人に疑がかかった。
「それ召捕れ」ということになった。
 秀吉の威光で探がすことであった。苦もなく五右衛門は召捕られた。
 とりあえず長束正家が、取調役を命ぜられた。
「衣裳の襟を縫いましたは、いかにも私でございます。あまり縫いよく見えましたので。……別に他意とてはございません」
 これが五右衛門の申状であった。
「あまり縫いよく見え
前へ 次へ
全24ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング