れに[#「くれに」に傍点]見えざりけり。とかくする中に、五右衛門はや帰りて、いざ/″\殿下まゐり候へとて、いかにもきらびやかなる器物に、好味をつくしける美膳をぞすへにける。殿下御覧じて、これは早速にとゝのふものかなとて、かたのごとく食したまひける。そのうち珍酒を振舞候はんとて、とり/″\の名酒あまたよせて、すゝめにける。とかくして時も移る程に、はや祇園会も初まる時分に候、いざ/″\御供仕らんとて、又件の鳶の羽に打乗て、虚空をさして飛けるが、刹那がうちに、祇園の廊門のうへにぞ落着ける、まこと神事の最中なれば、都鄙の貴賤上下、東西南北は充満して、人のたちこむこと家々に限りなくぞ見えにけり。五右衛門申されけるは、むかふへ来る武士どもを見給へ、身長に及ぶ大太刀をさして、張肘にて、大路せばしと多勢ありく事の面憎さよ、殿下もつれ/″\におはしまさんに、ちと喧嘩をさせて、賑にひらめかせ、見物せんとて、棟の上へ生ひたる苔を、すこしづつ摘み、ばり/″\と投ければ、御辺は卒爾を、人にしかけるものかなといふ中に、又飛礫を雨のごとくに打ければ、総見物ども入乱て、このうちに馬鹿者こそ有遁すまじとて、太刀かたな引ぬきて、爰に一村かしこひに一むすび、五人三人づつ渡しあひて、しのぎを削り、うち物よりも火焔を出す。女童是を見て、四方へばつと逃まどふ。あれ/\殿下御覧ぜよ。なによりも面白き慰にて候はぬかと云ひければ、殿下のたまひけるは、さのみは人を苦めて、罪造りて何かせん、はや/\やめ候へと宣へば、さあらば喧嘩をやむべしとて、西の方を二三度まねきければ、見物の人々も、喧嘩をいたす輩も、八方へむら/\とぞ逃たりけり。かくて時刻も移りて、祇園会の山鉾、はやしたてゝ渡しけり。五右衛門こゝは、所間遠にて、おもしろからず、よき所にて見せ参らせ候はんとて、四条の町の華麗なる家にともなひけり。さて何処よりとりて来たりけん。杉重角折、すはまの台など、あまた殿下にすゝめけり。かくて山鉾もこと/″\く通り過ければ、今は見るべきものゝ無ければ、いざ/″\故郷へ帰らんとて、また鳶の羽にうちのせて、其日の六つはじめに、伏見にぞ帰りける。帰館して後にぞ、殿下は夢のさめたる心地はしつれとぞ、宣ひけると語り給へば、五右衛門首尾を施ける」

     四

 だが此の事あって以来、秀吉は五右衛門をうとうとしく[#「うとうとしく」に傍点
前へ 次へ
全12ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング