照上人様は、お前様一人のお方ではござりませぬ。この日本《ひのもと》みんなのお方でござります!」
犬神の娘の慟哭《どうこく》する、犬の悲鳴さながらの声を、千木のたっている建物の、二階の部屋に聞き流して、ご上人様をお守りして、その屋敷から脱け出しましたのは、それから間もなくのことでございました。
斗丈庵《とじょうあん》へ帰られてから、ご上人様はおっしゃいました。
「今日の昼頃奥の座敷にいると、さも悲しそうな女の声で、ひっきりなしにわしを呼ぶのじゃよ。そこでわしは行ったのじゃよ。夢のような心持ちでのう。……はッと人心地のついた時には、あの祈祷所に坐っていたのじゃよ」
「あのお綱という犬神の娘は、何をご上人様になされましたので?」
「ただわしの手をしっかりと握って、撫でたりさすったりしたばかりじゃよ」
「ご上人様には一度雨戸をあけて、お手を出されたようでございますが?」
「あまり撫でられたりさすられたりしたので、手がどうかなりはしないかと思って、あの娘《こ》が階下《した》へ下りて行った隙に、陽にあてて手を見たまでじゃよ」
――考えてみますれば犬神の娘が、犬神の法力でご上人様を、斗丈庵から誘い出したばかりに、斗丈庵で捕吏にとらえられるところを、お助かりなされたのでございます。
でもその後におけるご上人様の、おいたわしいお身の上というものは! 何んと申してよろしいやら、涙あるばかりでございます。
「旅衣《たびごろも》夜寒むをいとへ国のため草の枕の露をはらひて」という、望東尼様の惜別の和歌に送られ、平野国臣様に伴《とも》なわれ、もちろんわたしもお供をし、吉之助様のご消息の遅いのを案じ、薩摩をさしてご上人様が、福岡の地をご出立なさいましたのは、同じ年の十一月一日で、薩摩のお城下に着きましたのは、同月十日でございました。
するとどうでしょう薩摩藩の情勢が、吉之助様たちのご努力にかかわらず、佐幕論に傾きまして、ご上人様を薩摩藩でかくまう[#「かくまう」に傍点]ことを、体《てい》よく拒絶《ことわ》ったばかりでなく、国境いにおいて斬殺する目的のもとに「東目送り」という陰険きわまる法を、あえて行なうことになりました。
義に厚く情にもろい吉之助様が、なんでご上人様を見殺しにしましょう。その結果が十一月十五日の夜、ご上人様と吉之助様とが、恋人同志のように相擁され、薩摩潟にご投身さ
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