りません、その男の左の眼から銀の線のようなものが、星の光にキラキラ光って、突き出されているのが見えたことです。小柄かそれとも銀脚の簪《かんざし》か? いまだにわたしには疑がわしいのですが。
「出せ船を!」
「出さねば汝《おのれ》ら!」
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]しておられました。
グ――ッと船は中流へ出ました。
茅渟海《ちぬのうみ》の真ん中へ出ました時、ご上人様は一首の和歌をしたため、吉之助様へお目にかけました。
[#ここから2字下げ]
難波江《なにはえ》のあしのさはりは繁くともなほ世のために身をつくしてむ
[#ここで字下げ終わり]
こういう和歌でございます。上《かみ》は御大老井伊直弼様の圧迫、下《しも》は捕吏だの船夫《かこ》などの迫害、ほんとにご上人様のご一生は、さわりだらけでございました。
さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、事《こと》なく下関《しものせき》へ着きましたので、とりあえず薩摩の定宿の、三浦屋というのへ投じました。十月一日の午後のことでございます。その翌日でありましたが、「藩の事情を探らねばならぬ」と、このように吉之助様は仰せられ、薩摩へ向かってご発足なされました。それから幾日か経ちました時に、俊斎様はご上人様を連れられ、竹崎の地へおいでになり、同志の白石正一郎様のお家《うち》に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿《かくま》いなさいましてございます。そうしてご自身におかれましては、吉之助様のご返辞の遅いのを案じて、薩摩へ帰って行かれました。
どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの布令《ふれ》が、発布されておるというありさまなのでございます。それでご上人様におかれましては、博多の地に滞在しておられましても、福岡ご城下の高橋屋正助という、侠商の別荘にひそんだり、斗丈翁《とじょうおう》という有名な俳人の、五|反麻《たんま》と
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