の振り方。……万事が真剣で緊張していて、見ていても自ずと力が入る。……」
「アッハハ大変ですねえ、お侍さんだけに渡世人と異《ちが》って、物の見方が面白いや。……まあどうかあんなものへは、決してお手を出しませんように」
「いやわし[#「わし」に傍点]はやるつもりだ。今日ははじめてのことであり、駒の張り方さえ解らなったが、一日の見学でよく解った。この次からはわし[#「わし」に傍点]も張るつもりだ」
「いけませんよ杉さん、そいつは不可《いけ》ない。あいつに手を出して味を覚えると、一生涯やめられません。……やればやるほど深みへ入り、財を失い人を悪くし、碌《ろく》なことにはなりません」
「だろうとわし[#「わし」に傍点]も思っている。だからわしはやろうというのだ」
「へー、そいつア変ですねえ」
「わし[#「わし」に傍点]には物事が退屈なのだ。そこで何かしら退屈でない、全身でぶつかって行けるような物に、ぶつかりたいものと思っていたのだ。……博奕、いや結構なものだ。……当分こいつにぶつかって行くつもりで」
「呆れましたな、とんでもない話だ。……秋山先生に知れようものなら、あっしゃアこっぴどく[#「こっぴどく」に傍点]叱られますよ。……お連れしなけりゃアよかったっけ」
「先生に知れちゃア面白くない、こいつは秘密にして置くんだね」と浪之助はこう云うとクスクスと笑った。


 秋山要介や源女などと、浪之助がこの地へやって来て、林蔵の家へ止宿したのは、半月ほど前であった。
 あんな事件から親しくなり、浪之助はその後要介方へ出入りし、武術の話を聞かして貰ったり、新影流の教えを受けたりした。
 ある日行くと要介が云った。
「源女殿を連れて秩父地方に参る。よろしかったら貴殿もご同道なされ」と。
「秩父地方に何か用でも?」
「旨《うま》くゆくと大金を掘りあて、まずく行っても変わったことを、いろいろ経験しましょうよ」
 こう云って要介は意味ありそうに笑った。
「源女をお連れなさいますのは?」
「あの婦人《おんな》が――いや、あの婦人の歌が、秩父行きの原因でな。……秩父の郡《こおり》小川村逸見様庭の桧の根、昔は在ったということじゃ。――と云うあの婦人のうたう歌が」
 いよいよ意味ありそうに要介は云った。
 もっと詳しく聞きたいものと、そう浪之助は思ったが、それ以上要介が話さなかったので、いずれ聞くとして要介達と一緒に、そうした旅へ出て行ったら、無聊に苦しんでいる自分にとっては、面白かろうとそう思い、浪之助は一緒に行くことにした。
 旅へ出ると何と要介は、すぐこの地へやって来て、林蔵方へ止宿してしまった。
 が、何か画策しているらしく、一人でブラリと家を出て、二三日帰って来ないかと思えば、源女を連れて出かけて行って、やはり二日でも三日でも、帰って来ないようなことがあった。
 林蔵の家へ来てからの浪之助は、決して退屈しなかった。博徒、侠客、貸元などと呼ばれる、この人間の社会生活が、珍らしく痛快であるからであった。義理人情を旨として、行《や》ることといえば博奕であり、それで生活を立てている。勢力争い――縄張争い、こいつがコジレルと血の雨を降らす。親分乾児の関係が、武士の君臣関係より、もっと厳重で頼母《たのも》しい。巧言令色、追従などという、そういういやらしい[#「いやらしい」に傍点]ことが行なわれず、生一本で正直だ。
 これが浪之助を喜ばせたのであった。
(俺も博奕をやってみようかな)
 そんなことを思ってそう思ったことを、こっそり乾児へ云ったことがあった。
「親分に堅く云われて居るんで、杉さんに張らせちゃアならねえって」
 こう云って乾児達は相手にしなかった。
 これだけが浪之助には心外であった。
 とうと浪之助は我慢しきれず、一度でいいから賭場を見せてくれと、今日林蔵へ押して頼んだ。
「仕方がないねえ」と云いながらも、断わりきれず浪之助を連れて、林蔵は自分の賭場の一つ、広谷ヶ原へ出かけて行き、今はそれの帰りなのであった。
 三人は野良路を歩いて行く。
「親分これからどうなさいます?」
 乾児の藤作が声をかけた。
「杉さんにもつきあって[#「つきあって」に傍点]貰って、山城屋へ行って遊ぶとしようぜ」
「そう来なくちゃアならねえところさ。第一お山《やま》さんが大喜びだ」


 上尾宿一番の遊女屋山城屋、その前までやって来たが、見れば表が閉ざされていた。
 それでいて屋内からは賑かな、男女の声が聞こえてきた。
「親分どうも変ですねえ、表を閉じて遊ぶなんて、まず余っ程の大尽でなけりゃア、当今やるこっちゃありませんぜ」
 藤作はいくらかムカッ腹で云った。
「そうさ、こいつ[#「こいつ」に傍点]アちょっと変だ」
 林蔵もいくらか怪訝そうに云った。
「戸をどやしつけてみましょうか」
「そうさな、ひとつひっ叩いてみねえ」
 そこで藤作は戸を叩いた。
「へ――い、どなたでございますかな、今晩は都合で閉めましたんで。お馴染様であろうとご一現様であろうと、お断わりすることになってますんで」
 若衆《わかいしゅう》であろう潜戸の向こうで、こう素っ気なく挨拶をした。
「親分あれをお聞きですか、お馴染様であろうとご一現様であろうと、お断わりすると云っています」
「うむ、どうも仕方がねえな。ともかくももう一度俺の名を明かして、その若衆に掛合ってみな」
「へい、よろしゅうございます。……おいおい若衆、他でもねえが、赤尾の親分を知っているだろうな。お前のところのお山さんとは、切っても切れねえ仲だってこともよ。今年の暮ごろには受出してよ、黒板塀に見越の松、囲うってことも知ってなけりゃア嘘だ。その林蔵親分がな、ここにおいでなすっているのだ。ヤイこれでも戸をあけねえか」
「へい、さようでございましたか、赤尾のお貸元さんでございましたか。……野郎とうとう来やがったな」
「え、何だって、何て云ったんだい?」
「いいえ何にも云やアしません。……ええどうも困りましたな。いつもでしたら家中総出で、お迎えするんでございますが、何しろ今晩は馬大尽様が、そのお山さんを相方にして、しかも家を総仕舞いにして、誰もあげるなと有仰《おっしゃ》って……」
 その時林蔵が声をかけた。
「それじゃア何かいお山の客は、木曽の馬大尽|井上嘉門《いのうえかもん》様か?」
「へい、さようでございます」
「それじゃアどうも仕方がねえ。そうそうそう云えば井上大尽が、今日この土地へ来られたってこと人の噂で聞いたっけ。此方俺《こちとら》も随分ご厄介になった方だ。……いやそれなら結構だ。そういうお方に可愛がられたとあっては、かえってお山に箔がつく、いやそれなら結構だ。……杉さん、藤作、じゃア行こう。……笹屋へでも行って飲み明かそうぜ」
 三人は山城屋の門《かど》から離れ、五町ほど離れたこれも遊女屋の、笹屋というのへ乗り込んだ。
 三人|各自《めいめい》寝についた。
 夜中に林蔵は眼をさまし、用を達《た》すため部屋を出た。
 内緒の前まで来た時である、
「林蔵親分はお気の毒な……」という、笹屋の主人の声が聞こえた。
(はてな?)と林蔵は足を止めた。
「林蔵親分はお気の毒な、お山さんの心の変わったのも知らず、高萩の親分の来ているのを、馬大尽だと嘘を云われても、真に受けてこんな俺らの所へなんか、穏しくおいでなさるんだからなあ」


 答える内儀《おかみ》の声が聞こえた。
「お山という女の性悪には、妾《わたし》も驚いてしまいました。馬を牛に乗り換えるもいいが、日頃お二人さんの張合っているのを、百も二百も承知の上で、林蔵親分を袖にして、猪之松親分へ血道をあげ、狎《な》れつくとは性悪の骨張だよ」
 林蔵は内緒の前を離れ、用を達すと裏梯子から、自分の部屋へ返って来た。
 お山へ義理を立てるために、女を寝かしてはいなかった。
 布団の上に胡座《あぐら》を組み、黙然として考え込んだ。
(お山はどうせ宿場女郎、売物買物で仕方ねえが、高萩の猪之松は顔役だ。四百五百の乾児共から、立てられている男じゃアねえか。俺とお山との関係を、知らねえこともねえはずだ。それでいて俺の女を取る。まあまあそれも仕方ねえとして、井上大尽だと偽って、俺の遊びの邪魔をするとは、男の風上にも置けねえ奴。……そうでなくてさえ俺と彼奴《きゃつ》とは、早晩腕づくで争わなけりゃアならねえ。そういう立場に立っている。ヨーシそれではこの機会に……)
 折柄三番鶏の啼声がし、夜がそろそろ明けかけた。
(よし)と林蔵は立ち上り、身仕度をすると階下に下りた。
 寝ずの番の若衆が土間にいたが。
「これは親分、もうお帰りで」
「うん、わしは、これから帰るが、連れの二人はまだ寝ている、起こさずにそのままにして置いてくれ」
「へい、よろしゅうございます」
 潜戸から林蔵は外へ出た。
 暁の霧が立っていて、宿の家々は薄れてい、往来を歩く人影も少なく、家々の戸はとざされていた。林蔵は朝風に鬢を吹かせ、寝臭くなっている躰の汗を一度に肌から引き込ませ、足早に往来を歩いて行った。宿を出ると街道で、野良が四方に展《ひら》けてい、林や森や耕地があった。左へ行けば赤尾村、右へ行けば高萩村、双方へ行ける分岐点、そこに六地蔵が立っていて、木立がこんもり茂っていた。そこまで行くと立ち止まり、林蔵はしばらく考えたが、やがて木立の陰へ隠れた。
 次第に時が経って行く。
 やがて空が水色に色づき、それが次第に紅味《あかみ》ざし、小鳥が八方で啼き出した。
 と、その時上尾宿の方から、七人の人影が現われて、街道をこっちへ歩いて来た。
 高萩の猪之松の一行であった。
 三十一歳の猪之松は、色白で大兵で、品の備わった立派な男で、博徒などとは見えなかった。高い太い鼻は凜々しかったが、小さい薄い唇は、子供のように初々しく、女などにはどうにも愛されそうであった。結城《ゆうき》の衣装に博多《はかた》の帯、鮫鞘《さめざや》の長脇差を差している。
 後の五人は乾児であり、もう一人は浪人らしい武士であった。
 馬大尽井上嘉門を、乾児達へ出迎えさせ、定宿明石屋へ送り届け、自分も行って挨拶をし、上尾へ出て来たついでとあって、乾児を連れて山城屋へ行き、この頃深間になったお山を揚げ、一夜遊んでの帰途であった。
 六地蔵の前までやって来た時、木陰から林蔵が現われた。


「高萩の、ちょっと待ってくれ」
 林蔵は正面から声をかけた。
「おお、これは赤尾のか、どうして今頃こんな所に?」
 猪之松はちょっと驚いたように、足を止めてそう云った。
「何さ昨夜《ゆうべ》上尾へ行って、陽気に騒ごうと思ったところ、馬大尽が山城屋に来ていて、表を閉めての多々羅遊び、そこでこっちはすっかり悄気《しょげ》、つまらねえ所へ上ってしまい、面白くもねえところから、夜の引き明けに飛び出して、野面の景色を見ていたってわけさ。……見ればお前さんも朝帰りらしいが、上尾へでも行ったのかえ」
「うむ」と猪之松は苦い顔をし、当惑らしくそう云ったが、
「実は俺らもその通り、上尾へ行って遊んだが、面白くもねえ待遇を受け、業を湧かしての帰り道さ。いやすっかり懲りてしまった」
「あんまり懲りてもいないようだが……そうしてどこへ上ったのかな?」
「楼《うち》か、楼は、ええと笹屋だ」
「へえ、こいつは面妖だな。俺らの上ったのも笹屋だが、お前さんの噂は聞かなかったぜ」
「はてな、それじゃア違ったかな」
「大違いの真ン中だろう。……まあそんなことはどうでもいい。そこで高萩の相談がある。聞けばお前さんは小川宿の、逸見《へんみ》多四郎先生の、直弟子で素晴らしい手並とのこと、以前から一度立合って、教えを受けたいと思っていた。ここで逢ったは何より幸い、あまり人通りも無さそうだから、迷惑だろうが立合ってくれ」
「ナニ立合え? ……剣術の試合か?」
「それも是非とも真剣で」
「真剣勝負?」
「命の遣り取り!」
「…………」
 猪之松は無言で眼を見張った。
 しかし心では考えた。
(お山との関係を知ったらしい。そのお山だがこっち
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