袋と金一封をさえ、使者《つかい》を以て下された。
 上々吉の首尾であった。
 こうして二人は旅へ出た。
 先ず甲州へ出かけて行った。
 と云うのは陣十郎は寄食している間、過去に悪事でも犯しているためか、その過去について語ろうとせず、訊いても言葉を濁らせて、真相《まこと》らしいことは云わなかったが、しかし鴫澤家に寄食する直前、甲州辺りの博徒の家に、賭場防ぎ即ち用心棒として、世話になっていたということを、問わず語りに語ったことがあった。
 雲を掴むような洵《まこと》にあやふや[#「あやふや」に傍点]な、あて[#「あて」に傍点]にならないあて[#「あて」に傍点]であったが、その他には探すあて[#「あて」に傍点]が無かったので、二人――主水と澄江との二人は、ともかくも甲州へ行くことにした。
 さて甲州へ行って尋ねたところ、栗原宿の博徒の親分、紋兵衛という老人が、二人にとってはかなり為になる、耳寄の話を話してくれた。


「お妻とかいう変な女を連れて、水品先生には三月ほど前に、たしかにこの地へ参られましたが、何と思ったか武州方面へ向け、すぐに出発なさいましたよ。あの人とくると武州方面にも、贔屓にしている親分さんが、相当たくさんありますし、あの人の剣術の先生という人が、有名な小川の逸見《へんみ》多四郎様なので、旁々《かたがた》あちらへ参られたのでしょうよ」
 これが紋兵衛の言葉であった。
(甲源一刀流では宗家ともいうべき、逸見多四郎先生が、さては陣十郎の師匠だったのか)
 そう思って主水はヒヤリとした。
(ではその逸見先生の屋敷に、ひそかにかくまわれ[#「かくまわれ」に傍点]ているかもしれない)
 そこで主水と澄江の二人は、武州をさして旅をつづけ、今や上尾宿《あげおしゅく》まで来たのであった。
 江戸はほんの眼の先にあり、自分の屋敷も眼の先にあったが、敵の居場所さえ突き止めない先に、まさか屋敷へも立寄られない。こう思って二人は江戸入りさえ避けて、すぐに上尾宿へ来たのであった。
「お早いお着きで。……いらっしゃいまし」
 女中に案内されて上ったのは桔梗屋という旅籠屋《はたごや》であった。
 逸見家のある小川宿へ向け、実はすぐにも行きたいのであったが、うかうか行って陣十郎のためにもしも姿を見付けられたら、返り討ちに逢わないものでもないと、そんなように心配もされたので、まだ日は相当高かったが、この宿へ足を止めたのであった。
 往来に向いた部屋へ通された。
 旅装を解いて先ずくつろぎ、出された茶で口を濡らしている時、
「馬大尽がお通りになる」と口々に囃す声が聞こえてきた。
(馬大尽とは何だろう?)
 こう思って主水は障子を開け、――部屋は二階にあったので、欄干越しに往来を見た。
 一挺の駕籠《かご》を取り巻いて、博徒らしい五人の荒くれ男と、博労らしい四人の男とが、傍若無人に肩で風切り、往来の左右に佇んで、一種怖そうに一種好奇的に、この一団を眺めながら、噂している宿の人々の前を、東の方へ通って行くのが見られた。
 と、その中に深編笠をかむり、黒塗りの大小を閂《かんぬき》に差し、無紋の羽織を一着した、浪人らしい一人の武士が、警護するように駕籠に引添い、悠々とした足どりで歩いていた。
(はてな?)と主水は眼を見張った。
(陣十郎に似ているようだが?)
 笠をかむっているので顔は見えず、そう思った時には通り過ぎていて、背後《うしろ》姿しか見えなかったので、確めることは出来なかったが、気にかかってならなかった。
「澄江、おいで、あれをご覧」
「はい、何でございますか」
 脱ぎすてた衣装を畳んでいた澄江は、そう云い云い立って来た。
「あれをご覧、あそこへ行く武士を。……あ、いけない、曲がってしまった」
 さよう、その時その一団は、行手にあった四辻を、左の方へ曲がってしまった。
「お兄様、何なのでございますか?」
「わしの眼違いかも知れないが、陣十郎に似た浪人らしい武士が……」
「まあ」と澄江は眼を据えた。


「通って行ったとおっしゃいますので?」
「博徒と博労らしい一団が、駕籠を護って通って行ったが、その中にその武士がまじっていたのだ」
「ではちょっとわたしが行って、陣十郎かそうでないかを……」
「待て待て」と立ち上る澄江を制し、主水は思慮深く考え考え、
「陣十郎も敵待つ身、油断があろうとは思われぬ。あべこべに其方《そち》の姿を見付け、悪剣を揮わぬとも限らない。……もし彼がまこと陣十郎としても、見受けたところ博徒の輩の、賭場防ぎの用心棒として、住み付いている身の上らしく、さすれば今日や明日の中に、この地を去るものとも思われない。……馬大尽とは何者か、先刻《さっき》の一団は何者か、その辺りのことから十分に探って、その上で事に取りかかった方が、安全のように思われる」
 こう云って澄江を動かさなかった。
 夕食の膳の引かれた頃、番頭が挨拶に顔を出した。
「ちと物をたずねたいが」主水は早速話しかけた。
「へい、何でございますか」
「馬大尽とは何者かな?」
「馬大尽でございますか」
「馬大尽じゃと囃されて行った様だが、彼は一体何者かな?」
「木曽の大金持でございます」
「木曽の金持? 信州木曽のか?」
「へい左様でございます。信州木曽谷福島宿の奥所、西野郷に住居いたします。馬持大尽様にございます」
「馬持大尽? ははあ馬持の?」
「五百頭どころか一千頭にも及ぶ、たくさんの木曽駒《きそごま》をお持ちになって居られる、大金持の旦那様なので……お駕籠に乗って居られましたのが、その旦那様なのでございます」
「馬持の大尽様だから馬大尽?」
「へい、さようでございます」
「訳を聞いてみると不思議ではないな」
「へい、さようでございますとも」
「博徒風の男が五人ばかり、駕籠に附き添って行ったようだが……」
「高萩村の猪之松親分から、迎え出ました乾分《こぶん》衆で」
「高萩の猪之松? 博徒の頭か?」
「へい左様でございます。……赤尾村の林蔵親分か、高萩村の猪之松親分かと、並び称され居ります大親分で」
「それにしても木曽の馬大尽が、武州の博徒などと親しいとは?」
「それには訳がございます。……ご承知のこととは存じますが、木曽福島には毎年|半夏至《はんげし》の候、大馬市がございまして、諸国から馬持や博労が集まり、いくらとも知れないたくさんの馬の、売買や交換が行なわれ、大賑《おおにぎわ》いをいたします」
「木曽の馬市なら存じて居る。日本的に有名じゃ」
「荒っぽい大金の遣り取りが行なわれますのでございます」
「もちろんそれはそうだろうな」
「そこを目掛けて諸国の親分衆が、身内や乾児衆を大勢引連れ、千両箱や駒箱を担ぎ、景気よく乗り込んで行きまして、各自《めいめい》の持場に小屋掛けをしまして、大きな盆を敷きますので」
「つまり何だな博奕をやるのだな」
「へい左様でございます。その豪勢さ景気よさ、大相もないそうでございます」


「賭場をひらくとは怪しからんではないか」
「などと仰せられても福島の賭場、甲州|身延山御会式賭場《みのぶさんおんえしきとば》と一緒に、日本における二大賭場と申し天下御免なのでございますよ」
「ふうんそうか、豪勢なものだな」
「本名は井上嘉門様、西野郷の馬大尽様が、この馬市《うまいち》でお儲けになる金高、大変もないそうでございます」
「云わずと知れた、そうだろうな」
「そこで親分方の乾分衆が、押しかけて行って無心をなさる」
「成程な、有りそうなことだ」
「それを一々嘉門様には、お取り上げなされてご合力なさる」
「感心だな。金があるからだろうが」
「親分方といたしましても、見て見ぬふりも出来ませんので、お訪ねをしてお礼を云う」
「義理堅い手合だ、そうだろう」
「嘉門様には一々逢われて、丁寧にご会釈なさるそうで」
「金持には珍しい心掛けだな」
「そこで諸国の親分衆と、嘉門様とはそんな関係から、ずっと永らく交際して居られ、嘉門様が旅などなさいますと、その土地々々の親分衆が、争って歓待なさいますそうで」
「ははあそうか、よく解った」
「高萩村の猪之松親分とは、心が合うとでも申しましょうか、わけても親しいご交際だそうで、馬市が終えると大金を持たれ、毎年のようにこの土地へ参られ、猪之松親分をお相手にして、上尾の宿がひっくり返るほどの、多々羅遊びをなさいます」
「フーンそうか、豪勢なもんだな」
「と云いましても抜目は無く、武州には小金井の牧場があり、牧馬や、牧牛が盛んでありますから、その間に牧主や博労衆などと、来年の馬市の交渉などを、なさいますそうでございます」
「それはまあそうだろう」
「多々羅遊びをなさいまして、上尾の宿を潤しますので、馬大尽がおいでになったと聞くと、宿の人達は大喜びで、お祭のようにはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]ます」
「ところで馬大尽の同勢の中に、浪人風の武士がいたが、あれは一体何者かな?」
「用心棒でございますよ、猪之松親分の賭場防ぎの」
「で、何という姓名の者か?」
「さあ何と申しますやら、ああいう浪人衆は一人や二人でなく、猪之松親分の手許などには、五人六人と居りまして、居たかと思うと行ってしまい、行ったかと思うと新しいのが来る。いつもいつも変わりますので」
 知りたいと思った肝心のことが、これでは一向知れなかった。主水《もんど》も澄江《すみえ》も失望したが、とにかく明朝宿を立ち、高萩へ行って猪之松親分を探り、さっきの武士が陣十郎か否か、確かめて見ようと決心した。

 ちょうどこの夜のことであった。
 高萩の猪之松と張り合っている、赤尾の林蔵は乾児の藤作や、杉浪之助と連れ立って、広谷ヶ原の賭場を抜け出し、野良路をかなり不機嫌そうに、上尾宿の方へ歩いていた。
 思うように賭場に人が寄らず、自然テラの薄いのが、彼の不機嫌の原因であり、人寄りの悪いのは猪之松のためだと、そう思ってひどく不機嫌なのであった。
(これまで来てくれた客人さえ、どうやらこの頃は俺を見切って、猪之松の賭場へ行くらしい)
 これが心外でならなかった。

今牛若と小天狗


 武州入間|郡《ごおり》赤尾村に、磯五郎という目明《めあかし》があり、同時に賭場を開いていて、大勢の乾児《こぶん》を養っていた。いわゆる二足の草鞋《わらじ》であって、渡世人からは卑怯であるとして、とかく悪口を云われるものであるが磯五郎ばかりは評判がよかった。それは人間が出来ているからであった。もう五十歳をいくつか出て元気も衰えたところから、御用の方は聞いていたが、賭場や乾児の世話などは、倅《せがれ》に委かせて隠居していた。
 その倅が林蔵であった。
 この頃林蔵は二十八歳、小兵ではあったが、精悍無類、それに大胆で細心で、父に勝る器量人、剣は父の磯五郎共々、秋山要介正勝に従いて学び、免許以上に達している。今牛若と綽名され、若親分として威望隆々、武州有数の大貸元であった。
 ところが入間郡と境を接する、高麗郡の高萩村に、猪之松という貸元があり、この頃年三十一歳、小川宿の逸見《へんみ》多四郎に[#「逸見《へんみ》多四郎に」は底本では「逸身《へんみ》多四郎に」]従《つ》いて、甲源一刀流の極意を極め、小天狗という綽名を受け、中年から貸元になり、博奕にかけてはほんの素人、それでいてひどく人気があり、僅かの間に勢力を延ばし、林蔵の大切な縄張りをさえ犯し、どっちかといえば現在においては、貫祿からも人気からも、林蔵以上と称されていた。
 そこで両雄並び立たず、面と向うと何気無い顔で、時候の挨拶から世間話、尋常の交際《つきあい》はしていたが、腹の中では機会《おり》があったら、蹴込んでやろうと思っていた。
 野良路には露があり、それが冷々と足を濡らした。
「杉さん、賭場をどうお思いかね?」
 並んで歩いている浪之助へ、こう林蔵は声をかけた。
「今日はじめて見た賭博の場、いや洵に愉快だった」
 ほんとに浪之助は愉快そうに云った。
「一瞬間に勝負がつき、突嗟に金銭が授受される。……息詰まるような客人の態度。……細心な中盆の壺
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