庭へ射し出た燈火の光で、陣十郎を認めた鴫澤主水は、叫ぶと同時に刀をひっ掴み、庭へ躍り出ると積る怨み、ほとんど夢中で斬り込んだ。
「わっ」
 陣十郎は地に仆れた。
 片手にお妻を抱えていた。
 しかも片足は不具であった。
 満足な方の右の足の、股の辺りを斬られたのである。
 とその瞬間、澄江が刀を抜きそばめ、縁から庭へ飛び下りた。
「澄江殿かアーッ」と死期迫った声で、陣十郎は呼ばわった。
「其方《そなた》に懸想したばかりに……が今では二人一緒に、木曽街道の旅はしたが、躰に操に傷付けなかったことを、陣十郎の本性に、善心のあった証拠として心はればれ存じ居る……いざ主水拙者を討て! その前にこの女を!」
 お妻を放すと放した手で、刀引抜きお妻の肩を、胸にかけて割りつけた。
「ヒ――ッ」と仆れてノタウツお妻! でも断末魔の息の下で、
「主水様、この世の名残りに、お目にかかれて本望でござんす……二人一緒に旅はしましたが、とうとう最後まで赤の他人……今はやっぱり陣十郎殿の女房……良人《おっと》に討たれて死にまする」
「討て主水! いざ立派に!」
「よい覚悟! 討つぞ陣十郎!」
 主水の切り下した刀の下に、陣十郎の息は絶え、それに寄りかかってお妻も死んだ。
 間もなくそこへ駈けつけて来たのは逸見多四郎と秋山要介とであった。

 主水と澄江とが婚礼したのは、その翌年のことであって、仲のよい夫婦として榊原家では同僚たちがうらやんだ。
 多四郎と要介とは親友となり、井上嘉門の大宝財の、使用方などについて相談などをした。
 源女は本心を取りもどし、女芸人として名声を馳せ、杉浪之助はその後援者として、何くれとなく世話をしてやった。
 赤尾の林蔵と高萩の猪之松とは、一時和睦はしたものの、やはり両雄ならび立たず、その後対抗するようになったが、それは後日の出来事であった。



底本:「国枝史郎伝奇全集 巻四」未知谷
   1993(平成5)年5月20日初版発行
初出:「山形新聞」
   1936(昭和11)年3月〜8月18日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、以下の場合には大振りにつくっています。
「戸ヶ崎熊太郎」「広谷ヶ原」
※底本は、「行方/行衛」、「提燈/提灯」、「綺麗/奇麗」、「子分/乾兒/乾児/乾分」、「仰有る/有仰る/仰言る」を混在させていますが、底本のママとしました。
※小見出しの終わりから、行末まで伸びた罫は、入力しませんでした。
入力:阿和泉拓
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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