いい」
「浮子を釣るのでもござりますまいに」
「で、わしはその中に、何かを得ると思うのだよ」
「鮒一匹、そのくらいのもので」
「魚のことを云っているのではない」
「ははあ左様で。……では何を?」
「つまりあの業《わざ》を破る術じゃ」
「は? あの業と仰せられまするは?」
「水品陣十郎の『逆ノ車』……」
「ははあ」
「お、あれは何だ」
 その時上流から女を乗せた、死んだように動かない若い女を乗せた、古船が一隻流れて来た。
「東馬、寄せろ、船を岸へ」
「飛んでもないものが釣れましたようで」
 若侍は云い云い袴を脱ぎかけた[#「脱ぎかけた」は底本では「股ぎかけた」]。
 が、古船は自分の方から、ゆるゆると岸の方へ流れ寄って来た。
 武士は釣棹の柄の方を差し出し、船縁へかけて引き寄せるようにしたが、
「女を上げて介抱せい」
 そう若侍へ厳しく云った。

鳳凰と麒麟


 それから幾日か経った。
 秋山要介は杉浪之助を連れて、秩父郡小川村《ちちぶのこおりおがわむら》の外れに、あたかも嵎《ぐう》を負う虎の如くに蟠居し、四方の剣客に畏敬されている、甲源一刀流の宗家|逸見《へんみ》多四郎義利の、道場
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