分可愛そうじゃアないか。……それにさ、ご覧よ、この蒼白い顔を……唇の色だけが赤くてねえ。……ゾッとするほど綺麗だよ。……」
「色狂人! ……行こう行こう!」
「行きゃアがれ、碌で無し! ……妾アこの人を介抱するよ」
 お妻は主水の枕元へ、ペタペタと坐ってなお覗き込んだ。


 その同じ日のことであった。
 絹川という里川の岸で、一人の武士が魚を釣っていた。
 四十五六の年齢で、広い額、秀でた鼻、鋭いけれど暖かい眼、そういう顔の武士であった。立派な身分であると見え、衣裳などは寧ろ質素であったが、體に威があり品があった。
 傍らに籃《びく》が置いてあったが、魚は一匹もいなかった。
 川の水は濁りよごれ[#「よごれ」に傍点]てい、藻草や水錆が水面に浮かび、夕日がそれへ色彩をつけ、その中で浮子《うき》が動揺してい、それを武士は眺めていた。
「東馬《とうま》もう何刻《なんどき》であろう?」
 少し離れた草の中に、お供と見えて若侍が退屈らしい顔付をして、四辺《あたり》の風景を見廻していたがそれへ向かって話しかけた。
「巳刻《よつどき》でもありましょうか」
 若侍はそう答え、
「今日は不漁《しけ》
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