前から[#「それ以前から」は底本では「それ以然から」]杉浪之助は、担がれている女へ眼をつけたが、姿こそ旅装で変わってはいたが、いつぞやの夜、本郷の屋敷町で、危難を秋山要介と共に、救ってやった鴫澤《しぎさわ》家の娘、澄江であることに気がついた。
「やあ汝《おのれ》ら!」と浪之助は叫んだ。
「その女は拙者の知人、汝らに担がれ行くような、不束《ふつつか》のある身分の者ではない。……放せ! 置け! 汝等消えろ!」
「何を三ピン」と八五郎は怒鳴った。
「どこの二本差か知らねえが、俺らの獲物を横から来て、持って行こうとは気が強えや! ……問答は無益だ叩きのめせ!」
「よかろう、やれ!」と命知らず共、担いでいた澄江を抛り出すと、脇差を抜き無二無三に、浪之助と藤作とに切ってかかった。
「殺生ではあるがその儀なれば」
 刀を引き抜き浪之助は、ムーッとばかりに中段につけた。
 性来堕弱の彼ではあり、剣技にも勝れていない彼ではあったが、三カ月というもの秋山要介に従い義侠の精神を吹き込まれ、かつは新影流《しんかげりゅう》の教えを受けた。名人から受けた三カ月の教えは、やくざ[#「やくざ」に傍点]の師匠の三年に渡る、なまくら[#「なまくら」に傍点]の教えより功果がある。今の浪之助というものは、昔の浪之助とは事変わり、気魄横逸勇気凜々、真に大丈夫の俤《おもかげ》があった。
 その浪之助に構えられたのである。
 博徒共は怖気を揮った。
 三人顔を見合わせたが、誰云うともなく、
「いけねえ」
「逃げろ!」
 三方に別れて逃げてしまった。
 と見て取った浪之助は、刀を鞘へ納めるのも忙しく、澄江の側へ走り寄り、地に膝突き抱き介《かか》え、
「澄江殿! 澄江殿!」と呼ばわった。が気が付き、
「これは不可《いけ》ない。気絶して居られる、では、よし」と、急所を抑え「やッ」と活だ!


「あッ」と澄江は声を上げ、息吹き返し眼を見開らき、茫然と空を眺めたが、
「お兄イ様ア――ッ」と恋しい人を、苦しい息で血を吐くように呼んだ。
「拙者でござるぞ、杉浪之助で! 気が付かれたか、拙者でござるぞ!」
 そう呼ぶ浪之助の顔を見詰め、しばらく澄江は不思議そうに、ただハッハッと荒い息をしたが、
「お、お――、貴郎《あなた》様は……いつぞやの晩……あやうい所を……」
「お助けいたした杉浪之助! 再度お助けいたしたは、よくよくの
前へ 次へ
全172ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング