って、広谷ヶ原の賭場を抜け出し、野良路をかなり不機嫌そうに、上尾宿の方へ歩いていた。
 思うように賭場に人が寄らず、自然テラの薄いのが、彼の不機嫌の原因であり、人寄りの悪いのは猪之松のためだと、そう思ってひどく不機嫌なのであった。
(これまで来てくれた客人さえ、どうやらこの頃は俺を見切って、猪之松の賭場へ行くらしい)
 これが心外でならなかった。

今牛若と小天狗


 武州入間|郡《ごおり》赤尾村に、磯五郎という目明《めあかし》があり、同時に賭場を開いていて、大勢の乾児《こぶん》を養っていた。いわゆる二足の草鞋《わらじ》であって、渡世人からは卑怯であるとして、とかく悪口を云われるものであるが磯五郎ばかりは評判がよかった。それは人間が出来ているからであった。もう五十歳をいくつか出て元気も衰えたところから、御用の方は聞いていたが、賭場や乾児の世話などは、倅《せがれ》に委かせて隠居していた。
 その倅が林蔵であった。
 この頃林蔵は二十八歳、小兵ではあったが、精悍無類、それに大胆で細心で、父に勝る器量人、剣は父の磯五郎共々、秋山要介正勝に従いて学び、免許以上に達している。今牛若と綽名され、若親分として威望隆々、武州有数の大貸元であった。
 ところが入間郡と境を接する、高麗郡の高萩村に、猪之松という貸元があり、この頃年三十一歳、小川宿の逸見《へんみ》多四郎に[#「逸見《へんみ》多四郎に」は底本では「逸身《へんみ》多四郎に」]従《つ》いて、甲源一刀流の極意を極め、小天狗という綽名を受け、中年から貸元になり、博奕にかけてはほんの素人、それでいてひどく人気があり、僅かの間に勢力を延ばし、林蔵の大切な縄張りをさえ犯し、どっちかといえば現在においては、貫祿からも人気からも、林蔵以上と称されていた。
 そこで両雄並び立たず、面と向うと何気無い顔で、時候の挨拶から世間話、尋常の交際《つきあい》はしていたが、腹の中では機会《おり》があったら、蹴込んでやろうと思っていた。
 野良路には露があり、それが冷々と足を濡らした。
「杉さん、賭場をどうお思いかね?」
 並んで歩いている浪之助へ、こう林蔵は声をかけた。
「今日はじめて見た賭博の場、いや洵に愉快だった」
 ほんとに浪之助は愉快そうに云った。
「一瞬間に勝負がつき、突嗟に金銭が授受される。……息詰まるような客人の態度。……細心な中盆の壺
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