「本名は井上嘉門様、西野郷の馬大尽様が、この馬市《うまいち》でお儲けになる金高、大変もないそうでございます」
「云わずと知れた、そうだろうな」
「そこで親分方の乾分衆が、押しかけて行って無心をなさる」
「成程な、有りそうなことだ」
「それを一々嘉門様には、お取り上げなされてご合力なさる」
「感心だな。金があるからだろうが」
「親分方といたしましても、見て見ぬふりも出来ませんので、お訪ねをしてお礼を云う」
「義理堅い手合だ、そうだろう」
「嘉門様には一々逢われて、丁寧にご会釈なさるそうで」
「金持には珍しい心掛けだな」
「そこで諸国の親分衆と、嘉門様とはそんな関係から、ずっと永らく交際して居られ、嘉門様が旅などなさいますと、その土地々々の親分衆が、争って歓待なさいますそうで」
「ははあそうか、よく解った」
「高萩村の猪之松親分とは、心が合うとでも申しましょうか、わけても親しいご交際だそうで、馬市が終えると大金を持たれ、毎年のようにこの土地へ参られ、猪之松親分をお相手にして、上尾の宿がひっくり返るほどの、多々羅遊びをなさいます」
「フーンそうか、豪勢なもんだな」
「と云いましても抜目は無く、武州には小金井の牧場があり、牧馬や、牧牛が盛んでありますから、その間に牧主や博労衆などと、来年の馬市の交渉などを、なさいますそうでございます」
「それはまあそうだろう」
「多々羅遊びをなさいまして、上尾の宿を潤しますので、馬大尽がおいでになったと聞くと、宿の人達は大喜びで、お祭のようにはしゃぎ[#「はしゃぎ」に傍点]ます」
「ところで馬大尽の同勢の中に、浪人風の武士がいたが、あれは一体何者かな?」
「用心棒でございますよ、猪之松親分の賭場防ぎの」
「で、何という姓名の者か?」
「さあ何と申しますやら、ああいう浪人衆は一人や二人でなく、猪之松親分の手許などには、五人六人と居りまして、居たかと思うと行ってしまい、行ったかと思うと新しいのが来る。いつもいつも変わりますので」
知りたいと思った肝心のことが、これでは一向知れなかった。主水《もんど》も澄江《すみえ》も失望したが、とにかく明朝宿を立ち、高萩へ行って猪之松親分を探り、さっきの武士が陣十郎か否か、確かめて見ようと決心した。
ちょうどこの夜のことであった。
高萩の猪之松と張り合っている、赤尾の林蔵は乾児の藤作や、杉浪之助と連れ立
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