けず立っても行かず、また直ぐに眼を閉じて、長閑《のどか》そうに居眠りをつづけ出した。


 何故要介がこんな所にいるのか? 福島の馬市が首尾よく終えるや、赤尾の林蔵と高萩の猪之松とは、和解したので親しくなり、打ち連れ立って故郷へ帰った。
 そこで要介は門弟の浪之助へ、源女を附けて江戸へ帰し、自分一人だけが名古屋へ来た。
 尾張家の重臣|諌早《いさはや》勘兵衛が、要介の知己であるからであり、せっかく福島まで来たのであるから、久々で名古屋へ出かけて行き、諌早殿にお目にかかり、お城下見物をすることにしようと、そこで出かけて来たのであった。
 秋山要介の高い武名は、尾張藩にも知られていたので、今夜の宴にも勘兵衛と一緒に、要介は石河原家へ招かれた。
 最初要介は重臣たちとまじり、別の部屋で談笑していたのであったが、磊落の彼にはそういう座の空気がどうにも窮屈でならなかった。
 そこでそっと辷り出て、若侍たちのいるこの部屋へ来て、若侍たちの話を聞いているうちにトロトロと居眠りをやり出したのである。
 夜は次第に更けて来たが、酒宴は容易に終りそうもなく、人々の気焔はいよいよあがった。
 と、その部屋を出て行った、古巣右内という若侍が、蒼白《まっさお》な顔をして帰って来た。
「どうしたどうした」
「顔色が悪いぞ」
「今までどこへ行っていたのだ」
 と若侍たちは口々に訊いた。
「面目次第もないことを仕出来《しでか》しまして」
 右内は震える口で云った。
「新刀の試し切りいたそうと存じて、川上氏と金田一氏共々、大曾根の乞食小屋まで参りましたところ、一つの小屋の菰垂れの裾より、白刃ひらめきいでまして、あの豪勇の金田一氏が、片足を斬り落とされまして厶《ござ》りまする」
「なに乞食に金田一氏が……」
 若侍たちは森然としてしまった。
 それというのは金田一新助は、尾張藩の中でもかなりの使い手として、尊敬されている武芸者だからであった。
「そこで拙者と川上氏とで、金田一氏お屋敷まで、金田一氏をお送りいたし、川上氏はそのまま止まり、拙者一人だけ帰って参ったので厶るが……」と古巣右内は面目なさそうに云った。
 一同は何とも云わなかった。
 同僚が斬られたというのであるから、本来なれば出かけて行って、復讐すべきが当然なのであるが、相手が武士《ぶし》であろうことか、乞食小屋の乞食だというのであるから、
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