てそういう人々の従僕――そういう人々と家々によって、この一劃は形成され、自給自足しているのであった。
 要介達の泊まっている家は、宗家嘉門の門の中の平屋建ての一軒であった。
 さてその夜は月夜であった。
 その月光に照らされて、二梃の旅駕籠が入って来た。


 二梃の駕籠の着けられた家も、客を泊めるための家であったが、要介達の泊まっている家とは、十町ほども距たっていた。
 主水と陣十郎とが駕籠から出た。
 そうして家の中へ消えて行った。
 こういう大家族主義の大屋敷へ来れば、主人の客、夫婦の客、支配人の客、従僕の客、分家の客、新家の客と、あらゆる客がやって来るし、ただお屋敷拝見とか、一宿一飯の恩恵にとか、そんな名義で来る客もあり、客の種類や人品により、主人の客でも主人は逢わず、代わりの者が逢うことがあり、従僕の客でも気が向きさえすれば、主人が不意に逢ったりして、洵《まこと》に自由であり複雑であったが、感心のことには井上嘉門は、どんな粗末な客であっても、追い返すということはしなかったそうな。有り余る金があるからであろうが、食客を好む性質が、そういうことをさせるのであった。
 要介は心に思うところあって、
「有名なお屋敷拝見いたしたく、かつは某《それがし》事武術修行の、浪人の身にござりますれば、数日の間滞在いたし、お家来衆にお稽古つけたく……」
 とこういう名目で泊まり込み、陣十郎と主水とは、
「旅の武士にござりまするが、同伴の者この付近にて、暴漢数名に襲われて負傷、願わくば数日滞在し、手あて[#「あて」に傍点]致したく存じます」
 と、こういう口実の下に泊まったのであった。
 陣十郎は猪之松の屋敷で、嘉門を充分知って居り、知って居るばかりか嘉門を襲った。――そういう事情があるによって、絶対に嘉門には逢えなかった。
 顔を見られてさえ一大事である。
 で、顔は怪我したように、繃帯で一面に包んでいた。
 逸見多四郎が堂々と、
「拙者は武州小川の郷士、逸見多四郎と申す者、ご高名を知りお目にかかりたく、参上致しましてござります」
 と、正面から宣《なの》って玄関へかかり、丁寧に主屋へ招じ入れられたのも、同じ日のことであり、お妻も東馬も招じ入れられた。
 さて月のよい晩であった。
 要介は源女と浪之助を連れてブラリと部屋から戸外へ出た。
 この広大の嘉門の屋敷の、大体の様子を
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