をして賭場をひらいた。
この時集まって来た貸元衆といえば――
白子の琴次《ことじ》、一柳の源右衛門、廣澤の兵右衛門、江尻の和助、妙義の雷蔵、小金井の半助、御輿の三右衛門、鰍澤《かじかざわ》の藤兵衛、三保松源蔵、藤岡の慶助――等々の人々であり、そこへ高萩の猪之松と、赤尾の林蔵とが加わっていた。
左右が山で中央が木曽川、こういう地勢の木曽福島は、帯のように細い宿であったが、三家の筆頭たる尾張様の家臣で、五千八百余石のご大身、山村甚兵衛が関の関守、代官としてまかり居り、上り下りの旅人を調べる。で、どうしてもこの福島へは、旅人は一泊かあるいは二三泊、長い時には七日十日と、逗留しなければならなかったので、宿は繁盛を極めていた。尾張屋という旅籠《はたご》があった。
そこへ何と堂々と、こういう立看板が立てられたではないか!
「秋山要介在宿」と。
これが要介のやり口であった。
どこへ行っても居場所を銘記し、諸人に自己の所在を示し、敵あらば切り込んで来い、慕う者あらば訪ねて来いという、そういう態度を知らせたのであった。
その尾張屋から二町ほど離れた、三河屋という旅籠には、逸見《へんみ》多四郎が泊っていたが、この人は地味で温厚だったので、名札も立てさせずひっそりとしていた。
さて馬市の当日となった。
博労、市人、見物の群、馬を買う人、馬を売る人、香具師《やし》の男女、貸元衆や乾児、非常を警める宿役人、関所の武士達、旅の男女――人、人、人で宿《しゅく》は埋もれ、家々の門や往来には、売られる馬が無数に繋がれ、嘶《いなな》き、地を蹴り、噛み合い刎ね合い、それを見て犬が吠え――、声、声、声で騒がしくおりから好天気で日射し明るく、見世物小屋も入りが多く、賭場も盛って賑やかであった。
そういう福島の繁盛を外に、かなり距たった奈良井の宿の、山形屋という旅籠屋へ、辿りついた二人の武士があった。
陣十郎と主水であった。
奥の小広い部屋を二つ、隣同志に取って泊まった。
二人ながら駕籠で来たのであったが、駕籠から現われた陣十郎を見て、
「こいつは飛んだお客様だ」と、宿の者がヒヤリとした程に、陣十郎は憔悴してい、手足に幾所か繃帯さえし、病人であり、怪我人であることを、むごたらしく鮮やかに示していた。
夕食の膳を引かしてから、主水は陣十郎の部屋へ行った。
「どうだ陣十郎、気分はどうだ
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