には、神気全く消耗し尽くした。
(仆れてなろうか! 仆れぬ! 仆れぬ!)
が、ドッタリ草の上に仆れ、気絶! ――陣十郎は気絶してしまった。
火事の遠照りはここまでも届いて、死人かのように蒼い顔を、陰影づけて明るめていた。
修羅の巷は向こうにあったが、ここは寂しく人気なく、秋の季節は争われず、虫の音がしげく聞こえていた。
と、この境地へ修羅場を遁れ、これも同じく疲労困憊、クタクタになった武士が一人、刀を杖のように突きながら、ヒョロリヒョロリと辿って来た。
「や、死人か、可哀そうに」と呟き、陣十郎の側《そば》へ立った。
が、俄然躍り上り――躍り上り躍り上り声をあげた。
「陣十郎オ――ッ! 汝《おのれ》であったか! 鴫澤主水が参ったるぞ! 天の与え、今度こそ遁さぬ! 立ち上って勝負! 勝負いたせッ!」
武士は鴫澤主水であった。
「起きろ起きろ水品陣十郎! 重なる怨み今ぞ晴す! ……起きろ! 立ち上れ! 水品陣十郎!」
刀を真っ向に振り冠り、起き上ったらただ一討ち! ……討って取ろうと構えたが、陣十郎は動かなかった。
(死んでいるのか?)と疑惑が湧いた。
手を延ばして額へ触った。
気絶しているのだ、暖味がある。
(よ――し、しからばこの間に!)
振り冠った刀を取り直し、胸へ引きつけ突こうとしたが、心の奥で止めるものがあった。
(あなたが高萩の森の中で、気絶しているのを陣十郎の情婦、お妻が助けたではありませんか。……正体もない人間を、敵《かたき》であろうと討つは卑怯、まず蘇生させてその上で)と。
(そうだ)と主水は草に坐り、印籠から薬を取り出した。
恩讐同居
1
木曽福島の納めの馬市。――
これは勿論現代にはない。
現代の木曽の馬市は、九月行なわれる中見《なかみ》の市と、半夏至を中にして行なわれる、おけつげ[#「おけつげ」に傍点]という二つしかない。
納めの馬市の行なわれたのは、天保末年の頃までであり、それも前二回の馬市に比べて、かなり劣ったものであった。もうこの頃は山国の木曽は、はなはだ寒くて冬めいてさえ居り、人の出もあまりなかったからである。
とは云え天下の福島の馬市! そうそう貧弱なものではなく、馬も五百頭それくらいは集まり、縁日小屋も掛けられれば、香具師《やし》の群も集まって来、そうして諸国の貸元衆が、乾児をつれて出張っても来、小屋がけ
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