快いぞ」
「そんなものでございますかなあ」
「とはいえ厭アな気持のものだ。討つ方の心は一所懸命、命を捨ててかかっている。討たれる方は討たれまいとして、命を惜しんで逃げ廻る。心組みが全く別だ。討つ方には用心はいらぬ。討とう討とうと一向だ。討たれる方は用心ばかりだ。……用心をしても用心をしてもいずれは人間油断も隙もあろう、そこを狙われて討たれるかもしれぬ! この恐怖心、厭アなものだぞ」
「へい、さようでございましょうなあ」
突然立ち上ると陣十郎は、刀をグ――ッと中段につけ、両肘を縮め肩を低めたが、
「今迄の俺がそうだった! 討たれる者、逃げ廻る者、今迄の俺はそうだった! 剣法で云えばこの構えだ! ……が俺は一変した!」
こう沈痛に声を絞ると、俄然刀を大上段に冠った。
「大上段、積極的の構え! 俺は今日からこっちで向かう! 俺の方から敵を探し、返り討ちにかけてやる! それにしても汝ら卑屈だぞ! 俺が鴫澤主水という敵に、付け廻されているということを、心の中では知っていながら、おくびにも出そうとしないではないか! そうであろうがな! そうであろうがな!」
刀を大上段に振り冠ったまま、陣十郎は憎さげに叫んだ。
乾児達は顔を見合わせた。
それに相違ないからであった。
過ぐる日上尾の街道で、赤尾の林蔵にいどまれ[#「いどまれ」に傍点]て、こっちの親分が引きもならず、真剣勝負をした際に、鴫澤主水とその妹の、澄江とかいう娘とが、親の敵を討つと宣《なの》って、水品陣十郎を襲ったが、討ちもせず、討たれもせず、主水という武士は行方不明、澄江という娘は博労達に、どこかへ担がれて行ってしまったと、その時こっちの親分に従《つ》いて、その修羅場にいた八五郎の口から、乾児達は詳しく話されて、そういう事情は知っていた。そればかりでなくその日以来、それ迄はほとんど毎日のように、ここの家へやって来て、乾分達へ剣術を教えたり、ゴロゴロしていた陣十郎が、姿をあまり見せなくなり、なお噂による時は、これ迄ずっと住んでいた家――この村の外れにあるお妻の実家へも、住まないばかりか余り立ち寄らず、ひたすら主水兄妹によって、探し出されることを恐れていると、そういうことも聞き知っていた。
4
そうして知って居りながら、知って居るとも知らないとも、事実おくび[#「おくび」に傍点]にも出さなかった。というのは事が
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