るほどな」と多四郎は云ったが、そのまま沈黙して考え込んでしまった。
林蔵と猪之松とが常日頃から、勢力争いをしていることは、多四郎といえども知っていた。その争いが激甚となり、早晩力と力とをもって、正面衝突しなければなるまい――という所まで競り詰めて来ている。ということも伝聞していた。とはいえそのため秋山要介という、一大剣豪が現われて、師弟のつながりを縁にして、自分に試合を申し込み、その勝敗で二人の博徒の、勢力争いを解決しようなどと、そのような事件が起ころうなどとは、夢にも思いはしなかった。
(何ということだ!)と先ず思った。
(さてどうしたものだろう?)
とは云え自分も弟子は可愛い、成ろうことなら林蔵を挫いて、猪之松を大貸元にしてやりたい。
(では)と思わざるを得なかった。
(では要介の申し込みに応じ、賭試合を行ない打ち勝ってやろう)
腹が決まると堂々たるもので、逸見多四郎は毅然として云った。
「賭試合承知いたしてござる。しからば直ちに拙者屋敷に参り、道場においてお手合わせ、試合いたすでござりましょう」
「欣快」
要介は立ち上った。
「杉氏、貴殿もおいでなされ」
三人揃って部屋を出た。
逸見多四郎家のここは道場。――
竹刀《しない》ではない木刀であった。
要介と多四郎とは構えていた。
一本勝負!
そう定められていた。
二人ながら中段の構え!
今、シ――ンと静かである。
かかる試合に見物は無用と、通いの門弟も内門弟も、一切退けてのただ二人だけ! いや他に杉浪之助と、要介の訪問に応待に出た、先刻の若侍とが道場の隅に、つつましく控えて見守っていた。
10[#「10」は縦中横]
見霞むばかりの大道場、高く造られある正面は、師範の控える席であり、それに向かって左の板壁には、竹刀《しない》、木刀、槍、薙刀《なぎなた》、面、胴、籠手の道具類が、棚に整然と置かれてあり、左の板壁には段位を分けた、漆塗りの名札がかけてあった。
塵もとどめぬ板敷は、から[#「から」に傍点]拭きされて鏡のように光り、おりから羽目板の隙間から、横射しに射して来た日の光りが、そこへ琥珀色の棒縞を織り、その空間の光の圏内に、ポッと立っている幽かな塵埃《ほこり》は、薄い煙か紗のようであった。
互いに中段に位取って動かぬ、要介と多四郎は広い道場の、中央に居るところから、道場の端に腰
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