どうぞ」と云うと水玉を散らした、友禅の坐蒲団を押しやった。
坐ったが心が充たされず、尚浪之助は白い眼で、源女の顔をまじまじと見た。
源女は又も眼を閉じて、衣装|籠《つづら》に身をもたせていた。
眼の縁辺りが薄く隈取られ、小鼻の左右に溝が出来、見れば意外に憔悴もしてい、病んででもいるように疲《や》せて[#「疲《や》せて」はママ]もいた。
(ひどく苦労をしたらしい)
そう思うと浪之助の心持が和《なご》み、女を憐れむ情愛が、胸に暖かく流れて来た。
「お組、いままでどこにいたのだ?」
「旅に……旅に……諸方の旅に」
「旅を稼いでいたというのか?」
「いいえ。……でも……ええ旅に。……」
言葉が濁り曖昧であった。
「旅はいずこを……どの方面を?」
「どこと云って、ただあちらこちらを」
「ふむ。……一座を作って?」
「いいえ、一人で……でも時々は……一座を作っても居りました」
やはり言葉が濁るのであった。
「なぜそれにしても旅へ出ますと、わし[#「わし」に傍点]に話してはくれなかったのだ」
「…………」
源女は返辞《へんじ》をしなかった。
睫毛が顫え唇の左右が、痙攣をしたばかりであった。
窓から西陽が射し込んで来て、衣桁にかけてある着替えの衣装の、派手な模様を照らしていた。
二三度入り口の暖簾をかかげて、一座の者らしい男や女やが、顔を差し込んで覗いたが、訳あるらしい二人の様子を見ると、入ろうともせず行ってしまった。
「陣十郎という武士を知っているかな?」
話を転じて浪之助は云った。
と、源女は首をもたげた。
4
「陣十郎! ……陣十郎! ……水品《みずしな》陣十郎! ……あなたこそどうしてあの男を!」
そう云うと源女はのしかかる[#「のしかかる」に傍点]ように、衣装籠から身を乗り出した。
恐怖と憎悪とがあからさまに、パッと見開いた眼にあった。
凄じいと云ってもいいような、相手の態度に圧せられて、浪之助はかえってたじろいだ。
「いやわし[#「わし」に傍点]はただほんの……それも偶然|先刻《さっき》方……榊原様のお長屋で……試合をしていたのを通りかかって……だがその男が桟敷にいたので……」
「ただそれだけでございますか」
源女は安心したように、そう云うと躰をグッタリとさせ、衣装籠へまた寄りかかった。
そうして眼を閉じ黙ってしまったが、やがて浪之
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