り当代となり――即ち徳川氏となってからは、その金を利用した誰もなく、金の埋没地も不明となり、わずかにこの地方秩父地方において『秩父の郡小川村、逸見様庭の桧の根、昔はあったということじゃ……』という、手毬唄に名残をとどめているばかりじゃ。……」
 ここまで云って来て要介は、不意に沈黙をしてしまった。
 じっと聞いていた浪之助の、緊張の度が加わった。
 源女のうたう不可解の歌が、金に関係あるということは、朧気ながらも感じていたが、そんな歴史上の合戦や人物に、深い関係があろうなどとは、夢にも想像しなかったからである。
(これは問題が大きいぞ)
 それだけに興味も加わって、固唾を呑むという心持! それでじっと待っていた。
 要介は語りついだ。
「あの歌の意味は簡単じゃ。今話した例の金が、武蔵秩父郡小川村の逸見《へんみ》家の庭にある桧の木の根元に、昔は埋めてあったそうさな。――という意味に他ならない。逸見家というのは云う迄もなく、逸見多四郎殿の家の事じゃ。……その逸見家は何者かというに、甲斐源氏《かいげんじ》の流を汲んだ、武州無双の名家で旧家、甲源一刀流の宗家だが、甲源の文字もそこから来ている。即ち甲斐源氏という意味なのじゃ」


 要介は語りつづけた。
「歌もそこ迄なら何でもないのじゃ。というのは普通の手毬歌として、秩父地方の人々は、昔から知っているのだからな。ところがどうだろう源女殿だけが、その後の文句を知っている『今は変わって千の馬、五百の馬の馬飼の……それから少し間が切れて――秣の山や底無しの、川の中地の岩窟の……という文句を知っている。そこへわし[#「わし」に傍点]は眼をつけたのじゃ。頼義《よりよし》、義家が埋めたという金は、その後の歌にうたわれている境地に、今は埋めてあるのだろう。それにしても源女殿はどこでどうしてその後の歌を覚えたかとな。で源女殿へ訊いて見た。その返辞が洵《まこと》に妙じゃ。大森林や大渓谷や、大きな屋敷や大斜面や、そういう物のある山の奥の、たくさんの馬や馬飼のいる所へ、いつぞや妾《わたし》は行ったような気がする。そこでその歌を覚えたような気がする。でもハッキリとは覚えていない。勿論そこがどこであるかも知らない。――という曖昧の返辞なのだ。その上|其方《そち》も知っている通り、源女殿は時々発作を起こす。……で、わしはいろいろの医者へ、源女殿の様態
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