のご関係を承《うけたま》わりたいもので」
 以前から疑問に思っていたことを、浪之助は熱心に訊いた。
 その浪之助は以前においては、まさしく源女の愛人であった。がその源女が今度逢ってみれば、変わった性格となって居り、不思議な病気を持って居り、妙な歌を口吟《くちずさ》むばかりか、要介などという人物が、保護する人間となっていたので、浮いた恋、稀薄の愛、そのようなものは注がないこととし、ほんの友人のように交際《つきあ》って来たところ、その源女は上尾街道で、過ぐる日行なわれた林蔵と猪之松との果し合いの際|行方《ゆくえ》不明となり、爾来姿を見せなくなっていた。
 浪之助も勿論心にかけたが、要介のかけ方は一層で、
「あの日たしかに大薮の陰で、源女殿の歌声を耳にした。が、果し合いを引き分けおいて、急いで行って探した時には、もう源女殿はいなかった。どこにどうしていることやら」と、今日までも云いつづけて来たことであった。
「源女殿とわしとの関係か。さようさな、もう話してもよかろう」
 要介はいつになくこだわら[#「こだわら」に傍点]なかった。しかししばらく沈思していた。久しく聞きたいと希望していた、秘密の話が聞かれるのである。浪之助は思わず居住いを正し、緊張せざるを得なかった。
 中庭に小広い泉水があり、鯉が幾尾か泳いでいたが、時々水面へ飛び上った。それが田舎の古い旅籠屋の、昼の静かさを破壊するところの、たった一つの音であった。
 と、要介は話し出した。
「武蔵という国は承知でもあろうが、源氏にとっては由縁《ゆかり》の深い土地だ。源氏の発祥地ともいうべき土地だ。ここから源氏の諸豪族が起こった。秩父庄司《ちちぶしょうじ》、畠山重忠《はたけやましげただ》、熊谷次郎直実《くまがいじろうなおざね》等、いずれも武蔵から蹶起した武将だ。……がわしにかかわる[#「かかわる」に傍点]事件は、もっと昔に遡らなければならない。……これは誰もが承知していることだが、後冷泉天皇の御宇《ぎょう》にあって、奥州の酋長|阿部《あべ》の頼時《よりとき》が、貞任《さだとう》、宗任《むねとう》の二子と共に、朝廷に背いて不逞を逞ましゅうした、それを征したのが源|頼義《よりよし》、そうしてその子の八幡太郎義家――さてこの二人だが奥州征めの往来に、武蔵の国にとどまった。今日の国分寺村の国分寺、さよう、その頃には立派な寺院で、堂
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