舎稼ぎの浪人など、自分の方からビクビクし、怖々《こわごわ》強請《ゆす》りかけているが、以前《むかし》の浪人とくると、抜き身の槍や薙刀を立て、十人十五人と塊《かた》まって、豪農だの、郷士だのの屋敷へ押しかけて行き、多額の金子《きんす》を、申し受けたものよ」

    義兄弟の噂

 しばらく話が途絶えた。春とはいっても、夜は小寒かった。各自《めいめい》に出されてある火桶に、炭火《ひ》は充分にいけ[#「いけ」に傍点]られていたが、広い部屋は、それだけでは暖まらないのであろう。
 と、横手の襖が開いて、老僕がはいって来、新しい酒を置き無言で立ち去った。浪人たちは、ちょっと居住居を直したが、老僕の姿が消えると、また横になったり、胡坐《あぐら》を掻いたりした。一番年の若い武士が、燗徳利を取ると、仲間の盃へ、次々と注いだ。燭台の皿へ、丁字《ちょうじ》が立ったらしく、燈火《ひのひかり》が暗くなった。それを一人が、箸を返して除去《と》った。明るくなった燈に照らされ、床の間に置いてある矢筒の矢羽根が、雪のように白く見えた。
「その時代には、ずば抜けた豪傑もいたものよ」と、角右衛門が、やがて回顧の想いに堪えないかのような声で、しみじみと話し出した。「もっとも、これは噂で聞いただけで、わしは逢ったことはないのだが、来栖《くるす》勘兵衛、有賀《ありが》又兵衛という二人でな、義兄弟であったそうな。この者どもとなると、十人十五人は愚か、三十人五十人と隊を組み、槍、薙刀どころか、火縄に点火した鳥銃をさえ携え、豪農富商屋敷へ、白昼推参し、二日でも三日でも居坐り、千両箱の一つぐらいを、必ず持ち去ったものだそうじゃ。ところが、不思議なことには、この二人、甲州の大尽、鴨屋方に推参し、三戸前の土蔵を破り、甲州小判大判取り雑《ま》ぜ、数万両、他に、刀剣、名画等を幾何《いくばく》ともなく強奪したのを最後に、世の中から姿を消してしまったそうじゃ」
「召し捕られたので?」
「それが解らぬのじゃ」
 この時、庭の方から、轍《わだち》でも軋《きし》るような、キリキリという音が、深夜の静寂《しじま》に皹《ひび》でも入れるかのように聞こえて来た。武士たちは顔を見合わせた。この者どもは、永の浪人で、仕官の道はなく、生活《たつき》の法に困《こう》じたあげく、田舎の百姓や博徒の間を巡り歩き、強請《ゆすり》や、賭場防ぎをして、生活《くらし》をしている輩《やから》であったが、得体の知れない、この深夜の軋り音《ね》には気味が悪いと見え、呼吸《いき》を呑んで、ひっそりとなった。軋り音は、左の方へ、徐々に移って行くようであった。不意に角右衛門が立ち上がった。つづいて三人の武士が立ち上がり、揃って廊下へ出、雨戸を開けた。四人の眼へはいったものは、月夜の庭で、まばらの植え込みと、その彼方《あなた》の土塀とが、人々の眼を遮った。しかし、軋り音の主の姿は見えず、ずっと左手奥に、はみ出して作られてある部屋の向こう側から、音ばかりが聞こえて来た。でも、それも、次第に奥の方へ移って行き、やがて消え、吹いて来た風に、植え込みに雑じって咲いている桜が、一斉に散り、横撲りに、四人の顔へ降りかかった。四人の者は、そっと吐息をし、府中の町が、一里の彼方、打ち開けた田畑の末に、黒く横仆《よこたわ》っているのを、漠然と眺めやった。町外れの丘の一所が、火事かのように赤らんでいる。
「そうそう」と角右衛門が云った。「今日から府中は火祭りだったのう。あの火がそうじゃ」
「向こう七日間は祭礼つづき、町はさぞ賑わうことであろう」――これは片岡という武士であった。
「府中の火祭り賭場は有名、関東の親分衆が、駒箱を乾児《こぶん》衆に担がせ、いくらともなく出張って来、掛け小屋で大きな勝負をやる筈。拙者、明日は早々ここを立って、府中《あそこ》へ参るつもりじゃ」これは山口という武士であった。
「わたくしも明日は府中へ参ります所存。この頃中|不漁《しけ》で、生物《なまもの》にもありつかず、やるせのうござれば、親分衆に取り持って貰って……」
 と、紋太郎が云った。生物というのは女のことらしい。

    血蜘蛛の紙帳

 それを聞くと、角右衛門は笑ったが、
「貴殿方は、どの親分のもとへ参らるる気かな。拙者は、松戸の五郎蔵殿のもとへ参るつもりじゃ。関東には鼻を突くほど、立派な親分衆がござるが、五郎蔵殿ほど、我々のような浪人者を、いたわってくださる仁はござらぬ」
「それも、五郎蔵殿が、武士あがりだからでございましょうよ」
 酔った頬を、夜風に嬲《なぶ》られる快さからか、四人の者は、雨戸の間《あい》に、目白のように押し並び、しばらくは雑談に耽ったが、やがて部屋の中へはいった。とたんに、
「やッ、腰の物が見えぬ!」と、角右衛門が、狼狽したように叫んだ。
 皿や小鉢や燗徳利の取り散らされてある座敷に突っ立ったまま、四人は、また顔を見合わせた。わずかな時間《あいだ》に、四人の刀が、四本ながら紛失しているではないか。
「盗まれたのじゃ」
「家の者を呼んで……」
「いやいやそれ前に、一応あたりを調べて……」と、年|嵩《かさ》だけに、角右衛門は云い、燭台をひっさげると、次の間へ出た。次の間にも刀はなかった。その次の間へ行った。そこにも刀はなかった。そこを出ると廊下で、鉤の手に曲がっていた。その角にあたる向こう側の襖をあけるや、角右衛門は、
「おお、これは!」と云って、突っ立った。
 続いた三人の武士も、角右衛門の肩ごしに部屋の中を覗いたが、「おお、これは!」と、突っ立った。
 その部屋は十畳ほどの広さであったが、その中央《なかほど》に、紙帳《しちょう》が釣ってあり、燈火《ともしび》が、紙帳の中に引き込まれてあるかして、紙帳は、内側から橙黄色《だいだいいろ》に明るんで見え、一個《ひとつ》の人影が、その面《おもて》に、朦朧《もうろう》と映っていた。総髪で、髷を太く結んでいるらしい。鼻は高いらしい。全身は痩せているらしい。そういう武士が、刀を鑑定《み》ているらしく、刀身が、武士の膝の辺《あた》りから、斜めに眼の辺りへまで差し出されていた。――そういう人影が映っているのであった。それだけでも、四人の武士たちにとっては、意外のことだったのに、紙帳の面《おもて》に、あるいは蜒々《えんえん》と、あるいはベットリと、あるいは斑々と、または飛沫《しぶき》のように、何物か描かれてあった。その色の気味悪さというものは! 黒に似て黒でなく、褐色に似て褐色でなく、人間の血が、月日によって古びた色! それに相違なかった。描かれてある模様は? 少なくも毛筆《ふで》で描かれた物ではなかった。もし空想を許されるなら、何者か紙帳の中で屠腹《とふく》し、腸《はらわた》を掴み出し、投げ付けたのが紙帳へ中《あた》り、それが蜒《うね》り、それが飛び、瞬時にして描出したような模様であった。一所にベットリと、大きく、楕円形に、血痕が附いている。巨大な蜘蛛《くも》の胴体《どう》と見れば見られる。まずあそこへ、腸を叩き付けたのであろう。瞬間に腸が千切れ、四方へ開いた。蜘蛛の胴体から、脚のように、八本の線が延びているのがそれだ。蜘蛛の周囲を巡って、微細《こまか》い血痕が、霧のように飛び散っている。張り渡した蜘蛛の網と見れば見られる。ところどころに、耳ほどの形の血痕が附いている。網にかかって命を取られた、蝶や蝉の屍《なきがら》と見れば見られる。血描きの女郎蜘蛛! これが紙帳に現われている模様であった。では、その蜘蛛を背の辺りに負い、網の中ほどに坐っている紙帳の中の武士は、何んといったらよいだろう? 蜘蛛の網にかかって、命を取られる、不幸な犠牲というべきであろうか? それとも、その反対に、蜘蛛を使い、生物の命を取る、貪婪《どんらん》、残忍の、吸血鬼というべきであろうか? と、紙帳に映っていた武士の姿が崩れた。斜めに映っていた刀の影が消え、やがて鍔音がした。鞘に納めたらしい。横を向いていた武士の顔が、廊下に突っ立っている、四人の浪人の方へ向いた。
「鈍刀《なまくら》じゃ、四本とも悉《ことごと》く鈍刀じゃ。お返し申す」
 四本の刀が、すぐに、紙帳の裾から四人の方へ抛《ほう》り出された。この時まで息を呑み、唾を溜めて、紙帳を見詰めていた四人の浪人は、不覚にも狼狽した声をあげながら、刀へ飛びかかり、ひっ[#「ひっ」に傍点]掴み、腰へ差した。その時はじめて怒りが込み上げて来たらしく、
「これ、そこな武士、無礼といおうか、不埓《ふらち》といおうか、無断で我らの腰の物を持ち去るとは何事じゃ! 出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と、角右衛門が怒鳴った。
 すると、それに続いて、南京豆のような顔をした紋太郎が、
「出て来い! 出て来て謝罪いたせ!」と鸚鵡《おうむ》返しのように叫び、「それに何んぞや鈍刀とは! 我らの刀を鈍刀とは!」
「何者じゃ! 名を宣《なの》れ! 身分を明かせ!」
 とさらに角右衛門が怒鳴った。
 すると、紙帳の中の武士は、少し嗄《しわが》れた、錆《さび》のある声で、「拙者の名は、五味左門と申す、浪人じゃ。当家が浪人を厚遇いたすと聞き、昨夜遅く訪ねて参り、一泊いたしたものじゃ。疲労《つか》れていたがゆえに、この部屋へ早く寝た。しかるにさっきから、遠くの部屋から、賑やかな、面白そうな話し声が聞こえて来た。一眠りして、疲労《つかれ》の癒えた拙者、眼が冴えて眠れそうもない。会話《はなし》の仲間へはいり、暇を潰そうと声をしるべに尋ねて行ったところ、広い部屋へ出た。酒肴が出ておる。悪くないなと思ったぞ。が、見れば、四本の刀が投げ出してあり、刀の主らしい四人の者が、廊下に立って、夜景色を見ておる。長閑《のどか》の風景だったぞ。そこでわし[#「わし」に傍点]の心が変った。貴殿方と話す代りに、貴殿方の腰の物を拝見しようとな。悪気からではない。わし[#「わし」に傍点]の趣味《このみ》からじゃ。そこでわし[#「わし」に傍点]は貴殿方の腰の物をひとまとめにして持って参り、今までかかって鑑定いたした。さあ見てくれといわぬばかりに投げ出してあった刀、四本のうち一本ぐらい、筋の通った銘刀《もの》があるかと思ったところ、なかったぞ。フ、フ、フッ、揃いも揃って、関の数打ち物ばかりであったよ」

    蜘蛛の犠牲《にえ》

「チェッ」と舌打ちをしたのは、短気らしい山口という武士で、やにわに刀を抜くと、「他人《ひと》の腰の物を無断で見るさえあるに、悪口するとは何事じゃ。出て来い! 斬ってくれる!」
「斬られに行く酔狂者はない。出て行かぬよ。用があらば、そっちから紙帳の中へはいって参れ。ただし、断わっておくが、紙帳の中へはいったが最後、男なら命を女なら……」
「黙れ!」と、山口という武士は、紙帳に映っている影を目掛け、諸手《もろて》突きに突いた。
 瞬間に、紙帳の中の燈火《ともしび》が消え、紙帳は、経帷子《きょうかたびら》のような色となり、蜘蛛の姿も――内側から描かれていたものと見え、燈火が消えると共に消えてしまった。そうして、突かれた紙帳は、穏《おとな》しく内側へ萎み、裾が、ワングリと開き、鉄漿《おはぐろ》をつけた妖怪の口のような形となり、細い白い手が出た。
「!」
 悲鳴と共に、山口という武士はのけぞり[#「のけぞり」に傍点]、片足を宙へ上げ、それで紙帳を蹴った。しかし、すぐに、武士は、足から先に、紙帳の中へ引き込まれ、忽ち、断末魔の声が起こり、バーッと、血飛沫《ちしぶき》が、紙帳へかかる音がしたが、やがて、森然《しん》と静まってしまった。角右衛門は、持っていた燭台を抛り出すと、真っ先に逃げ出し、つづいて、紋太郎が逃げ出した。
 しかし片岡という武士は、さすがに、同宿の誼《よし》みある浪人の悲運を、見殺しに出来ないと思ったか、夢中のように、紙帳へ斬り付けた。とたんに、紙帳の裾が翻《ひるがえ》り、内部《うち》から掬《すく》うように斬り上げた刀が、廊下にころがったままで燃えている、燭台の燈に一瞬間輝いた。
「わ、わ、わーッ」と、苦痛の声が、
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