えていた。栞は、顔を上向け、また、何か想いにふけっているようであった。華やかな半襟の合わさり目から、白い滑かな咽喉が覗き、その上に、ふくよかな円い顔が載っていて、咽喉の形が、象牙の撥《ばち》のように見えているのも、初々《ういうい》しかった。
栞は笑った。頼母のことを思っての、「想い出し笑い」であった。
「栞殿」と、左門は、相手の心を探るように云った。
「そなた、誰かと恋し合っておられますな」
「ま、……どうして……」
しかし栞の耳朶は紅を注した。
「様子でわかりまする」
「…………」
「あまりに浮き浮きとしておられる。あまりに幸福そうじゃ。……若い娘ごが、そのように成られること、恋以外にはござらぬ」
「…………」
「栞殿のような、美しい、賢い、無邪気な娘ごに恋される男、何者やら、果報者でござるよ」
「…………」
「相手の殿ごも、栞殿を愛しておられますかな?」
讐敵紙帳の内外
「それはもう……」と、栞は思わず云って、また顔を染めた。
「その殿ご、心変りせねばよいが」
「なんの……決して……そのようなこと!」
「競争者でも出来て……」
「競争者でも……」
と、栞の顔へ、はじめて不安の影が射した。
「さよう、競争者でも出来ましたら、男の心など、変るもので」
「いいえいいえ、そんなことがありますものか! ……でも、もしや、そんなことにでもなったら……死にまする! 妾は死にまする!」
「こう云っているうちにも、阿婆擦《あばず》れた女などが、そなたの恋人――いずれ、しおらしい、初心の栞殿の恋人ゆえ、同じ初心のしおらしい殿ごでござろうが、その殿ごへ、まとい付いて……」
栞の顔色は次第に変り、眼が、地面の一所へ据えられた。
その様子を見ると左門は、本来なれば、性来の悪魔性が――嗜虐《しぎゃく》性が、ムクムクと胸へ込み上げて来、この純情の処女《おとめ》の心を、嫉妬と猜疑《さいぎ》とで、穢してやろうという祈願《ねがい》に駆り立てられるのであったが、今は反対で、
(気の毒な! こんな純情の処女の心を苦しめてはいけない)と思った。そこで快活に笑い、
「いやいや栞殿、心配はご無用になされ、純情の殿ごなりや、どのような性悪る女であろうと、誘惑の手延ばされぬものでござる。……それにしても、栞殿のような娘ごに、そのようにまで想われる男、果報者の代表、うらやましい次第、何んという名のお方でござるかな?」
「はい、そのお方の名は……」
栞が云いかけた時、紙帳の外から、
「やア、ここに紙帳が釣ってあるわ! ……やア、左門めの紙帳じゃ!」
という声が聞こえた。
頼母の声であった。
「左門!」と、その声は叫んだ。「我は伊東頼母、先夜は府中武蔵屋で、むざむざ取り逃がしたが、再度ここで巡り合ったは天の祐《たす》け! 父親の敵、今度こそは遁《の》がしはせぬ! 出て来て勝負を致せ!」
「頼母様アーッ」
と、その声を聞いて、まず呼ばわったのは、栞であった。
「頼母様アーッ、妾、栞でござりまする! ……今日あたりお帰りくださりましょうかと、心待ちに待っておりましたところ! おお、やっぱりお帰りくだされましたか! ……それにいたしても変った所で! 頼母様アーッ」
と、栞は、叫び叫び、紙帳の裾をかかげ、外へ出ようとした。しかし、その栞は、背後から、左門の手によって引き戻された。
「伊東頼母氏か。……紙帳の中におる者は、いかにも五味左門、貴殿父上の敵じゃ! ……が、頼母殿、紙帳の中には、もう一人|人《ひと》がいる! 飯塚薪左衛門殿の娘栞殿じゃ! ……いや、驚き申したわ。栞殿に恋人のあること、たった今、この帳中で、栞殿より承ってござるが、その恋人が、貴殿、頼母殿であろうとは!」
左門は、そう云い云い、刀の柄を右手で掴んだが、一振りすると鞘を飛ばせ、蒼光る刀身を、頼母のいると覚しい方へ差し付けた。
「悪縁といえば、よくよくの悪縁でござるよの」と左門は、辛辣な声で云いつづけた。
「貴殿のお父上を討ち取ったばかりか、武蔵屋では、貴殿の恋人、博徒五郎蔵の女お浦という者を、拙者この帳中で。……しかるに、同じこの紙帳の中で、貴殿第二の恋人、栞殿を。……重なる怨みとはこの事! フッフッ、これでは貴殿、拙者を見遁がすことなりますまいよ!」
悲痛の頼母
「頼母様アーッ」
と栞は、左門の手から遁がれよう遁がれようと身悶えしながら、必死となって叫んだ。
「左門様が、あなた様のお父様の敵などとは夢にも知らず、先刻《さきほど》から、紙帳の中で、物語りいたしましたは真実ではござりまするが、何んの貞操《みさお》を!」
「それは真実じゃ!」
と、左門は、意外に真面目の声で云った。
「栞殿は、純潔じゃ。……それから……」と云ったが、云い止めた。
しかし、やがて決心したよ
前へ
次へ
全49ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング