りはいったりする、蚕かのように見えた。
「家とは?」
「紙帳のことですの」
「ははあ」
と云ったが、左門は、(いいことを云ってくれた)と思った。(紙帳こそ、俺の家であり巣なのだからなあ)
また左門はいい気持ちになった。そこで膝を崩し、手を懐中《ふところ》へ入れ、ノンビリとした姿勢となった。
「紙帳といえば、妾がお釣りしたのでございますの」
栞は云いつづけた。
「妾、林を散歩して、ここまで参りましたところ、紙帳が落ちていたではございませんか……最初は、本当は、気味悪かったのでございますのよ。……でも、見ているうちに、釣りたくなりましたので、釣りましたところ、今度は、はいってみたくなりました。……はいりましたところ眠くなりました。そこで妾、眠ったのでございますわ……」
「ははあ」と左門は云ったが、さては紙帳は、あの夜、お浦によって、武蔵屋の庭から外へ運び出され、それから、何かの理由で――風にでも吹かれ、ないしは、お浦自身ここまで持って来て、棄てて立ち去ったのかもしれないと思った。
(どっちみち紙帳を、ここで取り戻すことが出来たのは幸福だった)
二人はしばらく黙っていた。
ふと、上の方で、ひそかな物音がした。
栞は、顔を上向けた。紙帳の天井に、楓の葉のような影が二個映ってい、それが、ひそかな音を立てて、あちこちへ移動《うつ》っていた。小鳥の脚の影らしい。また二個数が増した。もう一羽、紙帳へ停まったらしい。四個《よっつ》の小鳥の脚の影は、やがて紛合《もつれあ》った。戯れているらしい。と、二個ずつ離れ、つづいて、意外に高い、でも優しい啼き声が響いて来た。
「テッポ、シチニオイテ、イツツブ、ニシュ」
と、その声は聞こえた。
とたんに、四個の脚の影は消えた。飛び去ったらしい。しかしやや離れたところから、同じ啼き声が聞こえて来た。
「頬白《ほおじろ》でございますわね」
と栞は云って、眼を細め、左門の顔を見た。
「何んといって啼いたかご存知?」
「さあ」
「『鉄砲質に置いて、五粒二朱』――と、啼いたのですわ」
「ははあ」
「猟にあぶれた[#「あぶれた」に傍点]猟師《かりゅうど》が、鉄砲をかついで、山道を帰って来る時、高い木の梢で、ああ啼かれますと、猟師は憤《おこ》れて来るそうでございます」
「ふ、ふ」
と、左門は、思わず、含み笑いをした。
「その筈でございますわ」と栞は云いつづけた。
「そのように不景気では、今に、鉄砲を質に置いて、五粒二朱借りるようになるぞよ、などと頬白にひやかされては、猟師としては、憤れて来ますわね」
「憤れますとも」
「でも、頬白は、普通、『一筆啓上仕る』と啼くのだそうでございます」
「物の啼き声は、聞きようによって、いろいろに取れますわい」
愛すればこそ
「蛙が何んといって啼くかご存知?」
「さあ」
「久太という小博徒《こばくちうち》が、勝負に負けて、裸体にむかれて、野良路を帰って来ると、その前を、郷方見廻りの立派なお侍さんが二人、歩いて行かれましたそうで。……すると、田圃の中から、蛙が啼きかけましたそうで。……何んといって啼いたかご存知?」
「知るわけがござらぬ」
「『あんた方お歴々、あんた方お歴々』と啼いたそうでございます」
「そうも聞こえますなあ」
「久太が通ると、また、蛙は啼きかけたそうですが、何んといって啼いたかご存知?」
「知るわけはござらぬ」
「『裸体でオホホ』と啼いたそうでございます」
「なるほど、そうも聞きとれますなあ」
「久太は怒って、蛙を捕えて、地べたへ叩きつけましたそうで。……何んといって蛙が啼いて死んだかご存知?」
「知るわけはござらぬよ」
「『久太アー』と啼いて死んだそうでございます」
「あッはッはッ」と左門は、爆笑した。「『キューター』……あッはッはッ」
爆笑してから、ハッと気がついた。
(俺は幾年ぶりで、気持ちよく、腹の底から、何んの蟠《わだかま》りもなく、笑っただろう?)
そうして、彼の気持ちは、快く爆笑させてくれた栞に対して、感謝しなければならないようなものになっていた。
(妾、どうして今日は、こう何んでも、気安く思うことが云えるのだろう?)
と、栞は栞で、自分ながらその事が、不思議なような気がした。(やはり、お父様のご病気がお癒りになったからだわ。……そうして、頼母様が、今日あたり、帰っておいでになるからだわ)
――それに相違なかった。それだから、心が喜悦に充ちてい、何んでも云え、何んでも受け入れることが出来、何んでもよい方へ解釈することが出来るのであった。
また二人は、しばらく沈黙して、向かい合っていた。
左門は、いつか、肘を枕にして横になった。
蕾を持った春蘭が、顔の前に生えていて、葉の隙から栞の姿が、簾越《すだれご》しの女のように見
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