(ともかくもお父様へお目にかけて……)
その裾の辺りへ去年の枯れ草を茂らせ、ところどころ壁土を落とした築地《ついじ》。鋲は錆び、瓦は破損《いた》み、久しく開けないために、扉に干割《ひわ》れの見える大門。――こういうものに囲まれた彼女の屋敷は、廃屋の見本のようなものであったが、栞は、その大門の横の潜門《くぐり》をくぐって屋敷の中へはいって行った。
その栞が、しばらく経った時には屋敷の奥の、古びた十畳ばかりの部屋に、父、薪左衛門と向かいあって坐っていた。
栞は、膝の上の刀箱を、父の方へ差し出したが、
「ただ今お話し申し上げました、堰の水に浮いておりました刀箱は、これでございます。ご覧なさりませ、天国と、箱書きしてございます」
と云い、緞子《どんす》の厚い座布団の上へ坐り、蒔絵《まきえ》の脇息へ倚っている、父親の顔を見た。
薪左衛門は、その卯の花のように白い総髪を、肩の上でユサリと揺り、おちつきなく、キョトキョト動く眼を、グッと据えたが、やっと咽喉から押し出したような嗄れ声で、
「ナニ、天国※[#感嘆符疑問符、1−8−78] ……まことか! ……まことなりやお手柄、我ら助かる! 身の面目になる!」
と云ったが、突然、棚から陶器《すえもの》が転げ落ちるような声で笑い出し、
「贋物《にせもの》であろう、贋物であろう、贋物の天国、鑑定してやろうぞ!」
と、鉤のように曲がっている左右の指で、ムズと箱を掴んだ。紐が解かれ、蓋が開けられた。箱の底に沈んでいたのは、古錦襴の袋に入れられた白鞘の剣であった。やがて鞘は払われ、刀身があらわれた。
薪左衛門は、狂人ながら、さすがは武士、白木の柄を両手に持ち、柄頭を丹田《たんでん》へ付け、鉾子《ぼうし》先を、斜《はす》に、両眼の間、ずっと彼方《むこう》に立て、ジッと刀身を見詰めた。立派であった。
それにしても、この奥まった部屋の暗いことは! 年中陽の光が射さないからであった。それで、この部屋にあって、鮮明《あざやか》に見えているものといえば、例の、卯の花のように白い薪左衛門の頭髪《かみ》と、化粧を施さないでも、天性雪のように白い、栞の顔ばかりであった。
いや、もう一つあった。薪左衛門によって保持《たも》たれている天国の剣であった。
おお、この「持つ人の善悪に関わらず、持つ人に福徳を与う」とまで、云い伝えられている、日本最
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