しかし、次の瞬間には、
(妾は、この人に悪いことをしていないのだから、殺される気遣いはない)と、初心《うぶ》の娘らしい心から、そう思った。
 それに、自分の寝言に驚いて、紙帳の隅へケシ飛んで行った左門の様子が、いかにも笑止だったので、(この人、それほど悪い人でないに相違ない)
 と、思った。
 栞と左門とは、しばらく見詰め合っていた。
「一人のお侍様をお殺しになり、もう一人のお侍様の足を斬り落としなさいましたのね。……でも、よくよくのことがなければ、あのような惨酷《むごたらし》いことは……」
 と、ややあってから栞は考え深そうな様子で云った。
「きっとあの方達、あなた様に、よくよく悪いことを……」
「そうでもござらぬ」
「いいえ、きっとそうだと存じますわ。でも、あなた様というお方、気の弱い、臆病なお方でございますものねえ」

    馬鹿のような無邪気さ

「ナニ、気が弱くて臆病?」
 左門は、また呆れた。
「ええ、そうでございますわ。それに、謹み深い、丁寧な、善良《いい》お方でございますわ」
「…………」
「女の子の寝言に吃驚《びっく》りなすって、紙帳の隅へケシ飛んで行ったまま、お行儀よく、膝にお手を置いて、かしこまっておいでになるのですものねえ」
 云われて、左門は、自分を見廻して見た。なるほど、痩せた肩を聳《そびや》かし、両手をお行儀よく膝の上へ置き、膝をちんまりと揃えて坐っていた。叱られた子供が、姉さんの小言を、かしこまって聞いている格好であった。左門は苦笑した。しかし左門としては、何も栞に遠慮して、そんな態度をとったのではなく、突然の栞の声に驚き、飛び退がった時にそういう姿勢をとり、それをこの時まで持ち続けて来たまでであった。
(それにしてもこの娘は、何んと朗らかで、無邪気なのであろう)
 左門は、体を寛《くつろ》げた。
(いい気持ちだ)
 左門は、心が豊かになり、和《なご》やかになるのを感じた。
「第一、このお家、妾のものでなく、あなた様のものでございますわ。あなた様がご主人様で、妾はお客様でございますわ。そのご主人様が、遠慮するということございませんわ」
 と栞は云って、膝の上で、長い袖を弄《もてあそ》んだ。紅色の勝った、友禅模様の袖は、いろいろの落花の積み重ねのように見え、それを弄んでいる娘の、白い、細い、柔らかい指は、その花の積み重ねを、出た
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