これもほとんど無意識のように、お紅も片手を上げた。
 で、死骸を前にして、二人の手と手とが握られた。
 白い木蓮が背景となって、手を取り合った男女の姿が、月下に幸福そうに立っている。
 しかしこういう二人の恋が、無事に流れて行こうとは、想像されないことであった。
 執念深くて淫蕩で、傍若無人で権勢を持った、聚楽の若い侍に、お紅は狙われているのである。
 奪い取られると見做さなければならない。
 どのように北畠一家の者が、そのお紅を保護した所で、守り切れないことともなろう。
 しかし、お紅にも秋安にも、そういう形勢は解っていた。
「もしものことがあろうものなら、潔よく自害をいたします」
 九燿の星の紋所の付いた、懐刀をお紅は秋安に示して、そういうことを云ったりした。
 が、ともかくも五日十日と、その後無事に日が流れて、二人の恋は愈々益々、その密《こまやか》さを加えて行った。


不破小四郎の邸

「浮田鴨丸《うきたかもまる》めが不足している。ちょっと寂しい気持がする」
「まさかにあの晩に鴨丸めが、切り付けようとは思わなかった」
「性来鴨丸めは周章《あわて》者なのだ」
「それに北畠秋元めが、切り返そうとは思わなかった」
「それに第一秋元めは、どうして俺達の忍び込んだことを、感付いたものか合点がいかない」
「随分上手に忍び込んだのだが」
「のっそりと秋元が現われた時には、さすがに俺もギョッとしたよ」
「秋元め随分冴えた腕だの」
「一刀に鴨丸を斃したのだからな」
「仰天して俺達は逃げ出したが、いつまでもマゴマゴしていようものなら、やっぱり秋元に切られたかも知れない」
「切られないまでも捕らえられでもしたら、それこそ本当に目もあてられない」
「何と云ったところで若い娘を、引っ攫おうとしたのだからな」
「いぜん娘は北畠の邸に、身をかくしているということだ」
「外出などもしないそうだ」
「つまりは守られているのだろう」
 不破小四郎の邸の一間で、四五人の若い武士《さむらい》達が、雑然として話している。
 宵を過ごした初夏の夜で、衣笠《きぬがさ》山の方へでも翔《か》けるのであろう、杜鵑《ほととぎす》の声が聞こえてきた。
 小四郎は秀次《ひでつぐ》の寵臣である。邸なども豪奢である。銀燭などが立ててある。
 その銀燭を左手へ置いて、上座の円座に坐っているのは、邸の主人の小四郎で、前髪
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