木を作り人を殺し――田安中納言家をはじめとし、徳川家に縁ある人々を殺し、主家の怨を晴らそうとしているのに、わしは一念頓悟して、誠の教の庭に住み、真実《まこと》の人間を目つけ出そうとして、乞食のように歩き廻っている。……わが兄ながら惨忍な、実の娘を間者として、田安家の大奥へ住み込ませ、淀屋の独楽を奪わせようとは……」
「まあ叔父様、そのようなことまで……」
「わしは飛加藤の亜流なのだよ、どのようなことでも知っている……」
「では、叔父様には、淀屋の独楽の――三個《みっつ》あるという淀屋の独楽の、その所在《ありばしょ》もご存知なので?」
「一個《ひとつ》は頼母が持っておる。お前を苦しめた松浦頼母が。もう一つは主税が持っておる、お前が愛している山岸主税が。……が、最後の一つはのう」
「最後の一個は? 叔父様どこに?」
「それは云えぬ、今は云えぬ! ……勿論わしは知っているが」
聞こえる歌声
「では叔父様、独楽にまつわる[#「まつわる」に傍点]、淀屋の財宝の所在も?」
「淀屋の財宝を守護する者こそ、この飛加藤の亜流なのだよ」
「…………」
「この荏原屋敷の先代の主人は、わしの教の弟子なのじゃ。そうして淀屋の財宝は、この荏原屋敷に隠されてあるのじゃ。淀屋の財宝の所在について、わしの知っているのは当然であろう」
「…………」
「おいで、お八重」と飛加藤の亜流は云って、館を巡って歩き出した。
「眼には眼をもって、歯には歯をもって……因果応報の恐ろしさを、若いお前に見せてあげよう」
お八重は飛加藤の亜流の後から、胸を踊らせながら従《つ》いて行った。
この頃館の裏口では、頼母と主馬之進とが不安そうに、破壊された戸口から屋内《なか》を覗きながら、聞こえてくる物音に耳を澄ましていた。
そこへ屋内から走り出して来たのは、飛田林覚兵衛《とんだばやしかくべえ》であった。
「大変なことになりましてございます。主税《ちから》めどうして手に入れましたものか、主馬之進《しゅめのしん》殿のご内儀を捕虜《とりこ》とし、左様人質といたしまして、その人質を盾となし、二階座敷に攻勢をとり、階段を上る我らの味方を、斬り落とし斬り落としいたしまする」
大息吐いて注進する後から、お喋舌《しゃべ》りの勘兵衛《かんべえ》が飛出して来て、
「坂本様も宇津木殿も、斬り仆されましてございます。とてもこいつア敵《かな》いませんや。向こうにゃア奥様という人質があって、こっちが無鉄砲に斬り込んで行きゃア、奥様に大怪我させるんですからねえ」とこれも大息吐いて呶鳴り立てた。
「ナニ家内が描虜にされた※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」とさすがの主馬之進も仰天したらしく、
「それは一大事うち捨ては置けない! ……方々お続き下されい!」と屋内へ夢中で駈け込んだ。
「では拙者も」と、それにつづいて覚兵衛が屋内に駈け込めば、
「それじゃアあっし[#「あっし」に傍点]ももう一度」と勘兵衛も意気込んで駈け込んだ。
(夫婦の情愛は別のものだな)と後に残った頼母は呟き、戸口から屋内を覗き込んだ。
(臆病者の主馬ではあるが、女房が敵の手に捕らえられたと聞くや、阿修羅のように飛び込んで行きおった。……ところで俺《わし》はどうしたものかな?)
頼母にとっては松女《まつじょ》の命などより、淀屋の財宝の方が大切なのであった。主税やあやめ[#「あやめ」に傍点]などを討ってとるより、独楽の秘密を解くことの方が、遥かに遥かに大切なのであった。
で、危険な屋内などへは、入って行く気にはなれないのであった。
太刀音、掛け声、悲鳴などが、いよいよ烈しく聞こえてはきたが、頼母ばかりはなお門口に立っていた。
するとその時老人の声が、どこからともなく聞こえてきた。しかもそれは歌声であった。
(はてな?)と頼母は聞き耳を立てた。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]真昼頃、見る日は南、背後《うしろ》北、左は東、右は西なり
[#ここで字下げ終わり]
歌の文句はこうであった。
そうしてその歌声は林の奥の、古沼の方から聞こえてくる。
「見る日は南と云ったようだな」と頼母は思わず声に出して云った。
(見る日は南というこの言葉は、独楽の隠語の中に有ったはずだ。その言葉を詠み込んだ歌を歌うからには、その歌の意味を知っていなければならない)
頼母は歌の聞こえた方へ、足を空にして走って行った。
歌の主を引っ捕らえ、歌の意味を質《ただ》そうと思ったからである。
歌声は林に囲繞された大古沼の方から聞こえてきた。
頼母は林の中へ走り込んだ。
でも林の中には人影はなく、落葉松《からまつ》だの糸杉だの山桜だの、栗の木だの槇の木だのが繁りに繁り、月光を遮ぎり月光を澪し、萱だの芒だのいら[#「いら」に傍点]草だのの、生い茂り乱れもつれ[#「もつれ」に傍点]合っている地面へ、水銀のような光の斑を置き、長年積もり腐敗した落葉が、悪臭を発しているばかりであった。
秘密は解けたり!
そうして林の一方には、周囲五町もある大古沼が、葦だの萱だのに岸を茂らせ、水面に浮藻や落葉を浮かべ、曇った鏡のように月光に光り、楕円形に広がっていた。そうして沼の中央に在る、岩で出来ている小さい島の、岩の頂にある小さい祠が、鳥の形に見えていた。
でも人影はどこにもなかった。失望して頼母は佇んだ。
と、又もや歌声が、行手の方から聞こえてきた。
(さてはむこうか)と頼母は喜び、跫音《あしおと》を忍ばせてそっちへ走った。
茨と灌木と蔓草とで出来た、小丘のような藪があったが、その藪の向こう側から、男女の話し声が聞こえてきた。
(さては?)と頼母は胸をドキつかせ、藪の横から向こう側を覗いた。
一人の娘と一人の老人とが、草に坐りながら話していた。
老人は白髪白髯の、神々しいような人物であったが、しかしそれは一向見知らない人物であった。しかし、女の方はお八重であった。田安中納言家の腰元で、そうして自分が想いを懸けた、その美しいお八重であった。
(これは一体どうしたことだ。こんな深夜にこんな所に、お八重などがいようとは?)
夢に夢見る心持で、頼母は一刹那ぼんやりしてしまった。
しかし、老人の膝の側《そば》に、龕燈が一個《ひとつ》置いてあり、その龕燈の光に照らされ、淀屋の独楽に相違ない独楽が、地上に廻っているのを眼に入れると、頼母は俄然正気づいた。
(独楽がある! 淀屋の独楽が! 三つ目の独楽に相違ない!)
この時老人が話し出した。
「ね、この独楽へ現われる文字は『真昼頃』という三つの文字と『背後《うしろ》北、左は東、右は西なり』という、十一|文字《もじ》の外《ほか》にはない。……もう一つの独楽に現われて来るところの『見る日は南』という五つの文字へ、この独楽へ現われた文字を差し加えると「真昼頃、見る日は南、背後北、左は東、右は西なり」という、一首の和歌になるのだよ。……そうしてこの和歌は古歌の一つで、方角を教えた和歌なのさ。広野か海などをさまよって、不幸にも方角を失った際、それが真昼であったなら、先ず太陽を見るがよい。太陽は南にかかっているであろう。だから背後は北にあたり、左は東、右は西にあたる。――ただこういう意味なのだよ」
「でも、そんな和歌が淀屋の財宝と、どんな関係があるのでございます?」と好奇心で眼を輝かせながら、お八重は息をはずませて訊いた。
「淀屋の財宝の所在《ありばしょ》が、この和歌の中に詠まれているのだよ。……太陽を仰いでいる人間の位置は、東西南北の中央にある。その人間の位置にあたる所に、淀屋の財宝が隠されてあるのさ」
「ではどこかの中央に?」
「この屋敷の中央に?」
「この屋敷の中央とは?」
「荏原屋敷は大昔においては、沼を中央にして作られていたものさ」
「まア、では、財宝は古沼の中に?」
「沼の中央は岩の小島なのさ」
「まア、では、沼の小島の内に?」
「小島の中央は祠なのだ」
「では淀屋の財宝は祠の中に隠されてあるのね」
「そうだ」と老人は感慨深そうに云った。
「そうしてそのことを知っている者は、荏原屋敷の先代の主人と、この飛加藤の亜流だけなのさ。そうしてそのことを記してあったのは、三つの淀屋の独楽だけだったのさ。その独楽は以前には三つながら、荏原屋敷にあったのさ。ところがいつの間にか三つながら、荏原屋敷から失われてしまった。だがその中の一つだけは、ずっとわし[#「わし」に傍点]が持っていた。……それにしても淀屋の独楽を巡って、幾十人の者が長の年月、悲劇や喜劇を起こしたことか。……でも、いよいよ淀屋の独楽が、一所に集まる時期が来た。……お八重、わしに従《つ》いておいで。淀屋の財宝の莫大な額を、親しくお前の眼に見せてあげよう」
地上の独楽を懐中に納め、龕燈を取り上げて飛加藤の亜流は、やおら草から立ち上った。
お八重もつづいて立ち上ったが、
「でも叔父様、船もないのに、沼を渡って、どうして小島へ……」
因果応報
「ナーニ、わしは飛加藤の亜流だよ。どんなことでも出来る人間だよ。そうしてわしに従《つ》いてさえ来れば、お前もどんなことでも出来るのだよ。……沼を渡って行くことなども……」
二人は沼の方へ歩いて行った。
藪の陰に佇んで、見聞きしていた頼母は太い息を吐き、
「さてはそういう事情だったのか」と声に出して呟いた。
(淀屋の独楽の隠語は解けた。淀屋の財宝の在場所も知れた)
このことは頼母には有り難かったが、飛加藤の亜流とお八重とが揃って、財宝の所在地へ行くということが、どうにも不安でならなかった。
(財宝を二人に持ち出されては、これまでの苦心も水の泡だ)
こう思われるからであった。
(俺も沼の中の島へ行こう)
――頼母は飛加藤の亜流の後を追い、沼の方へ小走った。
頼母が沼の縁へ行きついた時、彼の眼に不思議な光景が見えた。
月光に薄光っている沼の上を、飛加藤の亜流という老人が、植木師風のお八重を連れ、まるで平地でも歩くように、悠々と歩いて行くのであった。重なっていた浮藻が左右に別れ、水に浮いて眠っていた鴨の群が、これも左右に別れるのさえ見えた。
(水も泥も深い沼だのに、どうして歩いて行けるのだろう?)
超自然的の行動ではなくて、水中に堤防が作られていて、陸からはそれが見えなかったが、飛加藤の亜流には解《わか》っていたので、それを渡って行ったまでである。しかし頼母には解っていなかったので、呆然佇んで見ていたが、
(そうだ、飛加藤の亜流には、出来ないことはないはずだった。水を渡ることなど何でもないのだろう。……飛加藤の亜流にさえ従《つ》いて行けば、こっちの身も沼を渡れるだろう)
頼母は沼の中へ入って行った。
しかし数間とは歩けなかった。水が首まで彼を呑んだ。蛭、長虫が彼を目指し、四方八方から泳ぎ寄って来た。
「助けてくれーッ」と悲鳴を上げ、頼母は岸へ帰ろうとした。
しかし深い泥が彼の足を捉え、彼を底の方へ引き込んだ。
突然彼の姿が見えなくなり、彼の姿の消えた辺りへ、泡と渦巻とが現われた。
と、ふいにその水面へ、一つの独楽が浮かび上った。頼母の持っていた独楽であって、水底に沈んだ彼の懐中から、水の面へ現われたのであった。独楽にも長虫はからみ付いていた。そうしてその虫は島を指して泳いだ。飛加藤の亜流とお八重との姿が、その島の岸に立っていた。そっちへ独楽は引かれて行く。
閉扉《あけず》の館の二階では、なお血闘が行なわれていた。頼母の家来の数名の者が、死骸となって転がっていた。
髪を乱し襟を拡げ、返り血を浴びた主税がその間に立ち、血にぬれた刀を中段に構え、開いている雨戸から射し込んでいる月光《ひかり》に、姿を仄かに見せていた。
その背後《うしろ》に息を呑み、あやめ[#「あやめ」に傍点]とお葉とが立っていた。二人の女の持っている刀も、ヌラヌラと血にぬれていた。そうして二人の女の裾には、ほとんど正気を失ったところの、松女が倒れて蠢いていた。
階段の下からは罵る声や怒声が、怯
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