くまり、編笠をかむった顔を俯向けて、木洩れの月光に肩の辺りを明るめ、寂しそうにしているのが見えた。
「猿廻し!」と声をかけ、突然主税はその前へ立った。
「用がある、拙者と一緒に参れ!」
「あッ」と猿廻しは飛び上ったが、木の間をくぐって逃げようとした。
「待て!」
主税は足を飛ばせ、素早くその前へ走って行き、左右に両手を開いて叫んだ。
「逃げようとて逃がしはせぬ、無理に逃げればぶった斬るぞ!」
「…………」
しかし無言で猿廻しは、両手で猿を頭上に捧げたが、バッとばかりに投げつけた。
キ――ッと猿は宙で啼き、主税の顔へ飛びついて来た。
「馬鹿者!」
怒号して拳を固め、猿を地上へ叩き落とし、主税は猛然と躍りかかった。
だが、何と猿廻しの素早いことか、こんもり盛り上っている山査子《さんざし》の叢《むら》の、丘のように高い裾を巡って、もう彼方《むこう》へ走っていた。
すぐに姿が見えなくなった。
(きゃつこそ猿だ! なんという敏捷《すばしっこ》さ!)
主税は一面感心もし、また一面怒りを感じ、憮然として佇んだが、気がついて地上へ眼をやった。
叩き落とした猿のことが、ちょっと気がかりになったからである。
木洩れの月光が銀箔のような斑《ふ》を、枯草ばかりで青草のない、まだ春なかばの地面のあちこちに、露を光らせて敷いていて、ぼっ[#「ぼっ」に傍点]と地面は明るかったが、猿の姿は見えなかった。
(たしかこの辺りへ叩き落としたはずだが)
主税は地面へ顔を持って行った。
「あ」
声に出して思わず言った。
小独楽が一個《ひとつ》落ちているではないか。
主税は袖を探ってみた。
袖の中にも小独楽はあった。
(では別の独楽なのだな)
地上の独楽を拾い上げ、主税は眼に近く持って来た。その独楽は大きさから形から、袖の中の独楽と同じであった。
「では」と呟いて左の掌の上で、主税は独楽を捻って廻し、月光の中へ掌を差し出し、廻る独楽の面をじっと見詰めた。
しかし、独楽の面には、なんらの文字も現われなかった。
(この独楽には細工はないとみえる)
いささか失望を感じながら、廻り止んだ独楽をつまみ上げ、なお仔細《こまか》く調べてみた。
すると、独楽の面の手触りが何となく違うように思われた。
(はてな?)と主税は指に力を罩《こ》め、その面を強く左の方へ擦った。
不思議な老人
「おおそうか、蓋なのか」と、擦ったに連れて独楽の面が弛み、心棒を中心にして持ち上ったので、そう主税《ちから》は呟いてすぐにその蓋を抜いてみた。
独楽の中は空洞《うつろ》になっていて畳んだ紙が入れてあった。
何か書いてあるようである。
そこで、紙を延ばしてみた。
[#ここから3字下げ]
三十三、四十八、二十九、二十四、二十二、四十五、四十八、四、三十五
[#ここで字下げ終わり]
と書いてあった。
(何だつまらない)と主税は呟き、紙を丸めて捨ようとしたが、
(いや待てよ、隠語《かくしことば》かもしれない)
ふとこんなように思われたので、またその紙へ眼を落とし、書かれてある数字を口の中で読んだ。
それから指を折って数え出した。
かなり長い間うち案じた。
「そうか!」と声に出して呟いた時には、主税の顔は硬ばっていた。
(ふうん、やはりそうだったのか、……しかし一体何者なのであろう?)
思いあたることがあると見えて、主税はグッと眼を据えて、空の一所へ視線をやった。
と、その視線の遥かかなたの、木立の間から一点の火光《ひかり》が、薄赤い色に輝いて見えた。
その火はユラユラと揺れたようであったが、やがて宙にとどまって、もう揺れようとはしなかった。
(こんな夜更けに御用地などで、火を点《と》もすものがあろうとは?)
重ね重ね起こる変わった事件に、今では主税は当惑したが、しかし好奇心は失われないばかりか、かえって一層増して来た。
(何者であるか見届けてやろう)
新規に得た独楽を袖の中へ入れ、足を早めて火光の見える方へ、木立をくぐり藪を巡って進んだ。
火光から数間のこなたまで来た時、その火光が龕燈の光であり、その龕燈は藪を背にした、栗の木の枝にかけられてある。――ということが見てとられた。
だがその他には何があったか?
その火の光に朦朧と照らされ、袖無を着、伊賀袴を穿いた、白髪白髯の老人と、筒袖を着、伊賀袴を穿いた、十五六歳の美少年とが、草の上に坐っていた。
いやその他にも居るものがあった。
例の猿廻しと例の猿とが同じく草の上に坐っていた。
(汝《おのれ》!)と主税は心から怒った。
(汝、猿廻しめ、人もなげな! 遠く逃げ延びて隠れればこそ、このような手近い所にいて、火まで燈して平然としているとは! 見おれ[#「見おれ」は底本では「見をれ」]、こやつ
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