鳥居の一所に静止して、キリキリ廻っている独楽とであった。
 そうしてその次に起こったことは、土間に桟敷に充ち充ちていた、老若男女の見物が、拍手喝采したことであった。
 しかし壮観《みもの》はそればかりではなく、すぐに続いて見事な業が、見物の眼を眩惑《くら》ました。
 あやめ[#「あやめ」に傍点]が黒地に金泥をもって、日輪を描き出した扇を開き、それをもって大独楽を受けたとたんに、その大独楽が左右に割れ、その中から幾個《いくつ》かの小独楽を産み出し、産み出された小独楽が石燈籠や鳥居や、社殿の家根《やね》などへ飛んで行き、そこで廻り出したことであった。
 また見物たちは喝采した。
 と、この時舞台に近い桟敷で、人々に交って見物していた二十五六歳の武士があったが、
「縹緻《きりょう》も佳《よ》いが芸《げい》も旨《うま》いわい」と口の中で呟いた。
 田安中納言家《たやすちゅうなごんけ》の近習役の、山岸主税《やまぎしちから》という武士であった。
 色白の細面、秀でた眉、高い鼻、いつも微笑しているような口、細味ではあるが睫毛が濃く、光こそ鋭く強かったが、でも涼しい朗かな眼――主税は稀に見る美青年であった。
 その主税の秀麗な姿が、曲独楽定席のこの小屋を出たのは、それから間もなくのことであり、小屋の前に延びている盛場の、西両国の広小路を、両国橋の方へ歩いて行くのが、群集の間に雑って見えた。
 もう夕暮ではあったけれど、ここは何という雑踏なのであろう。
 武士、町人、鳶ノ者、折助《おりすけ》、婢女《げじょ》、田舎者《おのぼりさん》、職人から医者、[#「医者、」は底本では「医者」]野幇間《のだいこ》、芸者《はおり》、茶屋女、女房子供――あらゆる社会《うきよ》の人々が、忙しそうに又|長閑《のどか》そうに、往くさ来るさしているではないか。
 無理もない! 歓楽境なのだから。
 だから往来の片側には、屋台店が並んでおり、見世物小屋が立っており、幟《のぼり》や旗がはためいており、また反対の片側には、隅田川に添って土地名物の「梅本」だの「うれし野」だのというような、水茶屋が軒を並べていた。
 主税は橋の方へ足を進めた。
 橋の上まで来た時である、
「おや」と彼は呟いて、左の袖へ手を入れた。
「あ」と思わず声をあげた。
 袖の中には小独楽が入っていたからである。
(一体これはどうしたというのだ)

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