うだよわしもそう思う。が、三つ目の淀屋の独楽が、果たしてどこにあるものやら、とんとわしには解らぬのでのう」
三人はここで黙ってしまった。
屋敷の構内に古池でもあって、そこに鷭《ばん》でも住んでいるのだろう、その啼声と羽搏きとが聞こえた。
と、ふいにこの時|茂《しげみ》の陰から、「誰だ!」という誰何の声が聞こえた。
三人はハッとして顔を見合わせた。と、すぐに悲鳴が聞こえ、つづいて物の仆れる音がした。三人は思わず立ち上った。
するとこの亭を囲繞《とりま》いている木々の向こうから、この亭の人々を警護していた、飛田林覚兵衛と勘兵衛との声が、狼狽したらしく聞こえてきた。
母娘は逢ったが
「曲者だ!」
「追え!」
「それ向こうへ逃げたぞ!」
「斬られたのは近藤氏じゃ」
こんな声が聞こえてきた。そうして覚兵衛と勘兵衛とが、閉扉《あけず》の館の方角をさして、走って行く足音が聞こえてきた。
「行ってみよう」と頼母は云って、榻から立ち上って歩き出した。
「それでは私も」と主馬之進も云って兄に続いて亭を出た。
亭には一人松女だけが残った。
松女は寂しそうに卓へ倚り、両の肘を卓の上へのせ、その上へ顔をうずめるようにし、何やら物思いに耽っていた。燃え尽きかけている蝋燭の燈が、白い細い頸《うなじ》の辺りへ、琥珀色の光を投げているのが、妙にこの女を佗しく見せた。
といつの間に現われたものか、その松女のすぐの背後《うしろ》に、妖怪《もののけ》のような女の姿が、朦朧として佇んでいた。
猿廻し姿のお葉であった。じっと松女を見詰めている。その様子が何となく松女を狙い、襲おうとでもしているような様子で……
と、不意にお葉の片手が上り、松女の肩を抑えたかと思うと、
「お母様!」と忍び音に云った。
松女はひどく驚いたらしく、顔を上げると、
「誰だえ※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」と訊いた。
「お母様、わたしでございます」
「お母様だって? このわたしを! まアまアまア失礼な! 見ればみすぼらしい猿廻しらしいが、夜ふけに無断にこんな所へ来て、わたしに向かってお母様などと! ……怪しいお人だ、人を呼ぼうか!」
「お母様、お久しぶりねえ」
「…………」
「お別れしたのは十年前の、雪の積もった日でございましたが、……お母様もお変わりなさいましたこと。……でも妾《わたし》は、このお
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